平成29年度はリクール正義論に関する前年度までの研究を継続させ、研究計画にもとづいて「リクール正義論の現代正義論における位置づけと、そのオリジナリティの提示」を目指した。その研究成果として、リクール正義論がもつ現代社会に固有の意義と射程を明確にするという観点から、日仏哲学会の機関紙である『フランス哲学・思想研究』に「リクール倫理学はグローバルな正義について何を言うことができるか」と題された論文を発表した。この論文では、近年さまざまな分野において活発な議論が展開されている「グローバルな正義」というテーマをめぐって、リクール哲学の核心とも呼ぶべき「能力ある人間(homme capable)」の概念を「権力の主体」へとつなぐ道筋を探ることで、リクール正義論の枠組みにおいて人権の概念の有効性を根拠づける方途を明らかにした。 本研究は全体として、「リクール正義論の意義と射程を明らかにすること」、またそのことを通して「『正義とは何か』という原理的な問いに対して新たな視点および切り口を提示すること」を目的としたものであるが、本研究の成果を集約して記すならば以下のようになる。すなわち、リクール正義論の最大の特徴は、それが「私たちはいかに生きることを望むか」「善い生き方とは何か」という彼自身の倫理学的ないし人間学的洞察に裏打ちされていることであり、その基本的なモデルは、彼自身が設定した「正しい制度において、他人とともに、また他人のために『善い生き方』をめざすこと」という「倫理的目標」に向かって対話・討議を重ねていく、というものである。彼の理論構成は一見オーソドックであるが、具体的な葛藤や衝突の場面を念頭にそれらを乗り越える道筋を示そうとする具体性と堅実さを備えており、理論的な精緻さを競う方向に傾きがちな他のさまざまな正義論と比較して、固有の意義と豊かさを秘めていると評価することができる。
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