研究課題/領域番号 |
15K01983
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研究機関 | 福島大学 |
研究代表者 |
小野原 雅夫 福島大学, 人間発達文化学類, 教授 (70261716)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | カント / 定言命法 / 仮言命法 / 哲学カフェ / 哲学的対話 / 民主主義 / 市民的公共性 |
研究実績の概要 |
2015年度は当初の計画通り、月1回のペースで計12回の「てつがくカフェ@ふくしま」を開催することができた。初めての試みとして「アートdeてつがくカフェ」を開催し、特に「第2回アートdeてつがくカフェ」は初めて福島市内を出て、猪苗代の「はじまりの美術館」で開催することができ、地域との結びつきをさらに深めることができた。開沼博氏の『はじめての福島学』を課題図書とした「第7回本deてつがくカフェ」や、映画『天皇と軍隊』を見て行った「第8回シネマdeてつがくカフェ」、2016年3月に大々的に開催した「てつがくカフェ@ふくしま〈3.11〉特別編5」など、福島の地に根差した独自の哲学カフェを企画・実行することができた。 折からの深刻に悪化の一途をたどる政治状況のなかで、真の民主主義の再生や人権擁護といった政治目的(=法・政治の定言命法)を実現するために、哲学的対話という手段(=仮言命法)がどの程度有効性をもちうるかについて探究した研究論文を発表した(小野原雅夫「民主主義の危機と哲学的対話の試み」、齋藤元紀編 『連続講義 現代日本の四つの危機 哲学からの挑戦』 講談社選書メチエ、2015年、所収)。 また、福島大学で開催された東北哲学会第65回大会においては、「『てつがくカフェ@ふくしま』における哲学的対話の試み」と題する研究発表を行った。これまでの「てつがくカフェ@ふくしま」の活動を振り返り、特にその運営上の苦労や工夫を開陳することによって、定言命法を実現するための仮言命法として、どの程度有効に機能しうるか、また、さらにその有効性を高めるためにはどのように改善していったらいいか等について、フロアの諸研究者とともに討議することができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
「てつがくカフェ@ふくしま」の継続的開催に関しては当初の計画以上に進展している。【研究実績の概要】に記したように、新しい地域との結びつきを確立したり、これまでにない参加者数を確保したりなどの成果を上げることができた。また、その有効性の検証という理論的研究も予想以上に進めることができた。 それに対して、「子どものための哲学」等の哲学カフェ以外の思想運動を視察するという研究計画については思うように進展させることができなかった。研究協力者である渡部純氏が進路変更のための準備で多忙を極めたことと、上述した「てつがくカフェ@ふくしま〈3.11〉特別編5」の会場費が想定よりも高くついてしまったために研究費が不足気味となってしまったためである。しかしながら、渡部純氏とともに「ネオ・ソクラティック・ダイアローグ」の研修を受けるなど、この面でも研究上の進展がなかったわけではない。 以上により、初年度は全体としてみれば「おおむね順調に進展している」と評価することができるだろう。
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今後の研究の推進方策 |
2016年度以降は、哲学カフェ以外の思想運動を視察したり実践したりという点に関する若干の遅れを取り戻しつつ、引き続き、実践検証研究の推進や研究成果の発信に取り組んでいきたい。すでに昨年度に東北哲学会で発表した内容については学会誌に投稿ずみで近々刊行予定である。5月には法政哲学会の場で、それぞれ哲学プラクティスに取り組んでおられる梶谷真司氏、齋藤元紀氏とともに、「市民とともに哲学するとは?」をテーマに「哲学カフェ@法政哲学会」を開催することが決定している。こうした討議を通して、定言命法を実現するための技術的仮言命法としての哲学プラクティスの意義と効用について多角的に理解を深めることができるものと思われる。また、11月に福島大学で開催される日本カント協会において、「3.11後の公共とカント」というテーマでのシンポジウムが開催されることが予定されており、その提題者となることを要請されている。こちらはまだ最終決定ではないようだが、これが本決まりになれば実践検証研究の貴重な機会となるはずである。
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次年度使用額が生じた理由 |
本科研費で開催する最大のイベント「てつがくカフェ@ふくしま〈3.11〉特別編5」の開催が年度末の3月6日であったため、その会場費や旅費等の確定が学内の予算執行期限を過ぎてしまい、残額がいくらになるかはっきりしなかったため。
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次年度使用額の使用計画 |
次年度使用額は僅少であるため、旅費や物品費のなかで合算して使用することが可能である。
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