本研究の課題は、生命倫理の諸問題を日常生活のなかに置き直すことで、医学・医療が日常生活にどのような影響を及ぼすか、その結果、倫理がどのように変容する可能性があるのかを考え、その対処方法を論じることである。 以上の問題意識のもとで研究期間中に少しずつ執筆を続けてきた本(『日常のなかの生命倫理 最後に守るべきものは何か』梓出版社)をようやく出版した。本書では、死の定義、脳死、脳死臓器移植、安楽死、代理懐胎・出産、そして低線量被曝の問題を取り上げた。日常をテーマに進めてきた研究の成果として、本書は一般書として出版し、誰が読んでも問題点が分かりやすい内容にした。 また、医学・医療の進歩にともなって「未来疲れ」とでも呼ぶべき現象が生じていることを論文(「未来疲れの生命倫理 医療における愚行権の再評価」)で発表した。未来に絶望しているわけではないが、かといって希望もなかなかもてないようなムードが、なぜ医療を受ける側に生じているのかの原因を分析し、未来疲れを緩和させるために、J・ミルが唱えた「愚行権」を生命倫理学の領域で再評価して、医療に積極的に取り入れることを提案した。愚行権に関しては「作為の愚行」と「不作為の愚行」を分け、さらにそれぞれを本人が行うのか、医者が行うのかで分けて四種類の行為類型を示した。そのなかで医者の作為の愚行(「当たり前でないことを敢えてする」)を「医者に任せる権利」「(患者の)なすがままでいる権利」と呼んで従来のパターナリズムと区別し、それを今後医療に導入することがどのような意味をもつのかを詳しく考察した。
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