最終年度は、健康正義の問題に関して近年提唱されているJ・P・ルガーの健康潜在能力パラダイムと、それを追加的ケアの問題へと適用するB・プラットらの所説を主たる検討対象として、医学研究者の追加的ケアの責務が正義という一般的考慮に基づいて基礎づけられるかという問題を考察した。 健康潜在能力パラダイムでは、アリストテレスやヌスバウム流の〈人間的な繁栄の原理〉に訴えることにより健康潜在能力を維持・向上させる普遍的責務の存在が根拠付けられるとともに、〈自発的コミットメント〉と〈機能的要求〉という二つの原理に則して、中心的な健康潜在能力上の〈不足分の不平等〉を削減する義務が個々のアクターへと割り当てられる。これを途上国臨床研究の文脈に適用すると、1)ホスト国において中心的な健康潜在能力上の〈不足分の不平等〉の要因を構成しているような疾患(当該国の疾患・死亡の主たる原因となっているような事柄)について、2)当該ホスト国の保健医療提供者が治療を提供する能力を欠いている一方、3)医学研究者はその疾患を治療するのに必要な専門的能力を有しているという場合に、医学研究者には当該疾患に関して追加的ケアを提供する責務が発生することになる。 これを、追加的ケアの問題に関して従来有力な理論枠組みであった部分委託モデルと比較した場合、後者では研究を通じて発見されるような研究参加者の疾患のみが治療の提供対象となるのに対して、前者ではホスト国において深刻な疾患・死亡要因となっているような種々の疾患に対して治療が提供されるという利点が見出される反面、医学研究者は主に自分の研究参加者に対して追加的ケアの責務を負うという点では、両者ともに変わるところがない。それゆえ、健康潜在能力パラダイムは、部分委託モデルを補完・強化するような機能を果たす一方で、部分委託モデルに対する代替アプローチとはならないことが明らかとなった。
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