研究実績の概要 |
価値合理性を非帰結主義的に把握する、これまでの研究方針を継承しつつ、とくに安彦一恵(2013)の自己善の倫理を価値合理的倫理の亜種と見なした。低幸福しか享受しえない「仮想・A大学教職員組合員」に妥当する倫理を、そうした自己善の一例と把握すれば、厚生的―帰結の吟味をあえて断念し、価値観基底的に「非厚生的―帰結」を選択する彼らの倫理は、有意味であることを見届けられる。これを「非厚生主義的」な広義の〈帰結主義〉として、自分の帰結を除外した厚生主義的な倫理=世界の善に対する次善の倫理的選択肢と見なした。この論点を、帰結主義・世界の善・責任倫理との対比でまとめ、日本倫理学会で口頭発表した。 また、リッカート規範概念の認識論的含意を、一致説・承認説・余剰説との対照から描き出した。彼の超越的当為は、超越論的観念論が経験的実在論となる点では、一致説的な客観項に重なりうるが、自己決定的な義務論にしたがう(こうした把握が自律を逸脱するという批判を加藤泰史から賜った)点においては承認という契機を必要とする。しかしながら、判断を承認するさい、対応してそれを表示する述語は必要でない。つまり「真理の余剰説」の先駆者フレーゲ(Kubalica,T.2012)と同様、リッカートの承認という所為は主張文の形式のなかに表われている(Gabriel,G.&Schlotter,S.2013)。したがって承認とはあえて言い立てる必要のない余りものであり、ここで余剰説との類縁関係を認められる。以上を「リッカートの真理論」としてまとめて発表した。 いずれの研究領域においても、「価値のタイポロジー―超越的当為の定位」に記したように、新カント学派の価値観/もしくは価値合理性は、心理主義的な逸脱の可能性を許容するがゆえに、自己決定の傾きをもつ。とくに非帰結主義選択肢の選好では、選択肢の価値が増幅されるという論点を示唆しえた。
|