研究課題/領域番号 |
15K02028
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
齋藤 智寛 東北大学, 文学研究科, 准教授 (10400201)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 無念 / 神会 / 慧能 / 壇経 / 歴代法宝記 |
研究実績の概要 |
敦煌本『六祖壇経』の校訂と訳注を完成させた。訳注作業を通じて、『壇経』およびそれと密接に関連する『神会語録』に見える「無念」の思想について、正確な理解を得ることができた。 考察によれば、荷沢神会における「無念」思想は、彼の般若中道の思想を基盤としており、単純に何も思わないのではなく無念だからこそ何物にも汚染されない智慧が自在に発揮できると説くものであった。またこの「無念」の法は、出家者のみならず在家信者にも説かれていたことが確認できた。 『壇経』においては、「無念を宗と為し、無相を体と無し、無住を本と為す」という成句が何度か繰り返され、「無念」が『壇経』の宗旨を表す言葉の一つとされている。この「無念」は、「無相」「無住」と並称されているように、智慧のはたらきよりは外境への執着からの解放により力点を置いたものであった。一瞬一瞬に連続する「念」を観察し、そのことによって主体客体を持つ「念」からの解放を目指すのである。 本課題の研究対象である『歴代法宝記』においては、六祖慧能条にも荷沢神会条にも「無念」の語が見えず、これを彼らの思想の核心とは見なさなかったことが知られる。『法宝記』において「無念」は繰り返し説かれる概念であるから、このことは奇異に思えるが、恐らく該書の編者は『法宝記』が記録しようとする保唐無住の説く「無念」と、それに先立つ神会および慧能の「無念」とが異なることを意識しており、無住独自の説として記録することを選んだのであろう。 なお、敦煌本『壇経』訳注は「新国訳大蔵経」シリーズの一冊として公刊の予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究課題の研究計画には、『歴代法宝記』の「念仏」「無念」思想についての考察が含まれていた。『歴代法宝記』の「無念」思想が、荷沢神会のそれを直接に継承するわけではないことを明らかにし、本書の「無念」思想を、「念仏」の発展かつ批判として位置づけ、また物資が不足した山寺における儀礼実践の不可能を正統化する文脈で受容されていることにも注意を向けようとしていたのである。 27年度において実施した敦煌本『六祖壇経』の訳注研究と、それにともなって行った『荷沢神会』語録の検討は、上記の研究計画の半ばを遂行し、残る半ばのための着実な基礎研究となり得たと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
引き続き「無念」思想についての考察を進めるが、28年度は『壇経』や神会語録の考察を踏まえて、『歴代法宝記』そのものの検討に入りたい。 まずは『歴代法宝記』に先立つ禅宗史書である『楞伽師資記』『伝法宝紀』に見える「念仏」思想を検討し、それが「念」の空を観ずる「無念」思想に展開することを明らかにする。 次に、『歴代法宝記』に見える戒律や儀礼に関する考え方を確認し、『法宝記』における「無念」が、山間部の寺院において規定通りの戒律や儀礼の実施が困難である状況に積極的意味を与える役割を持っていたことを論じる。 さらに、『法宝記』無住章には浄衆寺無相が念仏の際に教えていた三句が「無忘」なのか「無妄」なのかを問う場面があり、同じ無相門下にも「念仏」「無念」の理解に分岐が生じていたこと、そのことが『法宝記』編纂の動機の一つとなったであろうことを検討したい。
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