『首楞厳経』と臨済禅」(『『臨済録』研究の現在―臨済禅師一一五〇年遠諱記念国際学会論文集』禅文化研究所、289-312頁、2017年6月)、「禅問答の誕生と公案禅・看話禅への展開」(『東アジア仏教学術論集―日・韓・中 国際仏教学術大会論文集―』第6号、171-199頁、2018年1月)、「『付法蔵伝』とその受容―大住聖窟二十四祖像を例として―」(『国際禅研究』創刊号、57-73頁、横166-150頁、2018年2月)の3本の論説を発表した。 『首楞厳経』と臨済禅」においては、八世紀の四川において『楞厳経』への関心が高まっており、『歴代法宝記』はその中で編纂されたことを指摘した。『歴代法宝記』では、経典・教理の否定という基本思想が、主客すなわち本性と本性ではない心理活動との弁別というやはり本書で繰り返し議論される課題と結びつけられて語られる。そうした文脈では、『楞厳経』的な思惟が『楞伽経』の引用や語彙によって記述されるのである。これは、禅思想を支える経典として、『楞伽経』に加えて『楞厳経』が存在感を増していく過渡期の現象として理解される。 「禅問答の誕生と公案禅・看話禅への展開」では、有名な問答が禅門の共通知識として公案化し、また長期にわたり同じ問題に参学するのは荷沢神会語録に始まり、五代の『祖堂集』に至ると、慧忠の無情説法を解決するために多くの師に参じた洞山良价の逸話が見られ、あたかも後世の話頭に参求するような実践が行われていることを指摘した。 「『付法蔵伝』とその受容―大住聖窟二十四祖像を例として―」では、『歴代法宝記』など禅宗燈史の西天祖統説にモデルを提供した『付法蔵伝』について、その本文は仏法の存続ではなくむしろ断絶を説いていること、本書にもとづく二十四祖像を刻む隋の大住聖窟は末法思想を主題として『付法蔵伝』の意図をよく理解していることを論じた。
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