東日本大震災では,多くの児童生徒も犠牲となった。一般に,死に関わる事象には,その役割を宗教的儀礼を行うことなどによって対応してきた。死の受容には宗教が一定の役割を果たしてきたといえよう。しかし,法により宗教的活動が禁止されている公立学校では,宗教儀礼による慰霊を行うことができない。そこではどのようにして子どもの非業の死を受容しているのだろうか? 私は犠牲者を出した学校で,死児に卒業証書を授与していることに注目し,その実態調査を行った。 その結果,多くの校種において死児に卒業証書が授与されていること,授与の提案は遺族からではなく,学校側からなされていたことが分かった。また犠牲となった年度に授与されているのではなく,卒業するはずだった年度に授与されていることがわかった。調査からは,「一緒に卒業させたい」という教職員の願い,死児の同級生やその保護者の要望などが反映されていたことがわかった。こうした心情は,死児が死後も歳を重ねるとする民間信仰と通底する心性によることが推測される。 比較として,中米グァテマラ共和国の先住民についてフィールド・ワークを実施した。その結果,子どもは神に近い存在として,大人と違う葬送儀礼が行われていることなどが分かった。 これら研究を通して,死児の慰霊・追悼と関係者の癒しを得るためには,宗教的儀礼によらなくても民間信仰の心性にも開かれたケアが効果的であることなどが示唆された。
|