研究課題/領域番号 |
15K02078
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
王寺 賢太 京都大学, 人文科学研究所, 准教授 (90402809)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | エルヴェシウス / 功利主義 / 身体論・自然論 / 『両インド史』 / カトリック宣教 / 神権政 / 所有権 / 文明化 |
研究実績の概要 |
本年度の研究は1770年代のディドロの二著作『エルヴェシウス論駁』と『両インド史』の三つの版のパラグアイ・イエズス会布教区叙述を対象に進めた。 『人間論論駁』は、感覚論と功利主義に基づくエルヴェシウスの教育論=政治論の批判を展開した著作である。ディドロは動物/人間の種差や人間の個体差における身体的=自然的条件の規定性を強調し、あるいは感覚(身体)と判断(思考)の種別性や、機械論的原因と自然的・物理的条件の区別を指摘することでこの批判を敢行するが、その主眼はエルヴェシウスの社会工学的発想に対して政治行為の領域の限界確定を図ることにあった。 『両インド史』では、パラグアイ布教区を「野生人の文明化」の成功例とみなし、神権政と共有財産制に基づくユートピアとして提示する1770/74版の肯定的評価を、ディドロが1780年版で覆すことの意味が焦点となった。この評価の反転には、単純再生産を旨とし、政治体全体を統一的秩序に従属させる政治的理想への批判と、特定の主体が一定の計画に基づいて政治体を構成(「立法」・「創設」)しうるとする立場への批判が含意されていた。そこから出発してディドロは、所有権の確立、商品生産と流通の拡大、そして公民的・政治的自由の拡大と連なる歴史過程を発動させる政治行為を「文明化」と呼ぶことになる。ただしその際、ディドロはこの選択が所有と労働の主体たりえない者を歴史の表舞台から排除することにも自覚的であり、そこに「近代」の悲劇性を認めていた。 後者は、『両インド史』批評校訂版(仏語)と日本語論文に結実している。副産物として日本18世紀学会での発表と『百科全書』電子批評校訂版の「項目Paraguay」注釈(仏語)がある(上記4点近刊)。ほかに2016年のピサでの研究発表は共著論文集に、2017年の京都での発表は雑誌論文として公刊された(いずれも仏語)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本年度の研究は、後期ディドロの政治論と唯物論哲学の関係を問うという本研究課題の核心に迫る主題を扱うものであり、とりわけA) ディドロの生理学的身体論と政治論の関係、B) 自然史的時間論・歴史論と政治論の関係の理解については大きな前進をもたらした。ディドロにおいては身体論=自然論こそが政治行為の領域を限定する最終審級であり、まただからこそ自然史的な展望で「文明化」の自生的な歴史過程を発動させることに関心が集中するからである。また、『両インド史』のパラグアイ布教区叙述の検討は、ディドロの「文明化」のプロジェクトと同時代の政治経済(学)との節合を理解する上でも、あるいはディドロに同時に胚胎していたヨーロッパ発の「近代」の歴史(資本主義の発展と国民国家の形成に至る歴史)の限界の意識を理解する上でも重要な一歩であった。 ただし、エルヴェシウス批判においては、ロック/ライプニッツ論争に遡る哲学的議論の検討、パラグアイ布教区叙述については、イエズス会文献や1767年の布教区廃止を巡る議論の検討は射程外に置かざるをえなかった。当初予定していたロシアでの資料調査は現地の政情不安のため、アメリカでの資料調査は時間的余裕がとれなかったために実現できなかった。
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今後の研究の推進方策 |
次年度は、『両インド史』のなかでも焦眉となるアメリカ合州国の独立を中心にディドロの共和主義と政体の「腐敗」と「再生」のヴィジョンを検討し、さらに最晩年の遺言的著作である『セネカ論』の読解につなげることが当初の計画であった。ただし、今年度、とりわけパラグアイ布教区叙述の検討を通じて得られた、所有権の確立に始まる歴史過程としての「文明化」というヴィジョンは、それが裏腹にもつディドロの「近代」批判とともに、『両インド史』に焦点を合わせ、黒人奴隷解放の訴えやアメリカ合州国独立支持が、どのように理解できるかを検討するように促している。いずれの場合も、「文明化」のプロジェクトが下敷きになっており、「旧体制」末期のヨーロッパの重商主義・商業資本主義興隆下での「腐敗」との対照が通奏低音をなしているからである。しかしそのためには、パラグアイ布教区叙述に現れた所有権擁護論の射程をさらに精密に検討することも必要だろう。1767年に廃止されたばかりの庫のイエズス会布教区は、同時代においてきわめて国際的な哲学的・政治的議論の的になっていたからである。 なお、2016年度に行ったフランス(タラドー)での調査で検討した資料は、これまでディドロの娘婿の執筆したものと考えられてきたが、私はこれに対して『両インド史』の著者レナルが1780年以降1796年までのあいだに準備し、中途で途絶した増補改訂版の手稿であるとの仮説を持っており、現在ヨーロッパの研究者たちの支持も得て、フランス国立図書館に該当資料の買い取りを働きかけるよう計画している。このため、本年度の研究では、『両インド史』研究を主体に、南米(旧ラプラタ副王領総督府所在のアルゼンチン、ブエノスアイレス)とフランスでの資料調査を交え、研究を進めることとしたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
昨年度までに予定していた海外での資料調査のうち、ロシアでの資料調査は現地の政情不安もあり、アメリカでの資料調査は研究代表者の時間的都合がつかなかったために中止せざるを得なかった。現在までの研究の進捗状況と方向の修正に基づき、次年度はフランスとアルゼンチンでの資料調査とアメリカ・ロシア(可能なら)の資料複写購入のために繰越金を使用する。
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備考 |
共著論文集Autour de l'abbe Raynalの出版社HP
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