研究課題/領域番号 |
15K02086
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研究機関 | 帝京大学 |
研究代表者 |
冲永 荘八 帝京大学, 文学部, 教授 (80269422)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 物質 / 意識 / 創発 / 決定論 / 量子状態 / 収縮 / 意識の遍在 / 唯心論物理学 |
研究実績の概要 |
平成29年度は、物質という決定論的で3人称的な存在から、意識という自発的で1人称的な性質が創発する問題に関して、量子レベルの非決定性が、意識の性質に関与していると見なす立場のいくつかを、28年度に引き続き検討した。基本的粒子の決定論的な「存在」を前提とする限り、この「存在」が複合したシステム独自の自発性はあり得ないと考えられるのに対して、決定論的に見える基本的粒子自体が実は創発されたものであれば、システムの自発性は根本的なレベルから保証される可能性があるからである。 そこで当初の計画で29年度は、物質や精神以前の中立的で一元的実在の、哲学史上の扱いについて研究する予定だったが、予定変更して28年度に引き続き、量子レベルの現象の非決定論的なランダム性から、世界全体の非決定性を導く理論が、創発に関わる哲学的議論にどう貢献し得るかを追うことを続けた。 この追及に加えて29年度では、量子状態が脳内のマイクロチューブルの中で計算不可能な「収縮」を起こすことで意識が発生すると唱えたR・Penroseや、H・Stappにおける量子状態の主観的選択の思想の出所になったNeumannの考えを検討した。 さらにそれらに対して、意識のないところから意識が生じるのではなく、実在の原初から意識の遍在を唱えるD・Chalmersや、唯心論物理学を展開した中込照明の思想などを対比させた。また、StappやNeumannでの量子状態の選択における、主観性の扱い方を批判したD・Georgiev、量子論的な意識論自体を批判した M・Tegmarkなどの考えも参照した。しかしNeumannらの考え方はミクロな次元での、因果性の法則自体のゆらぎや、原因のない出来事の扱い方に示唆的な見解を呈示していることも確認した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成29年度の研究計画に対する、現在までの実際の進捗状況として、28年度当初の計画であったStappやPenroseの思想研究を28年度のみで終わらせるのではなく、29年度も引き続き行った。彼らのうちにあった意識のない所から意識が生じるという考え方の問題点を根本的に考え直すためである。予定としては当初より遅れたことになるが、研究テーマとその問題点とを、当初の予定より深めることができた。 具体的には、StappやNeumannの中にある、量子選択を行う主体の出所が不明であるという問題点について批判的に着目した。またPenroseにおけるマイクロチューブルという、「収縮」と意識発生の場についても批判的検討を行った。彼らの問題点に関する考察は、意識発生の考え方自体の中にある弱点を洗い出し、むしろ意識を基本的、普遍的実在と見なす考え方に妥当性があるという見解に説得力を持たせた。これは、本研究のテーマである、創発という、無から意識が生じるという構図に対して反省を加え、また創発が無知の産物であるという批判に対しても一定の反論を可能にするものだった。 これに関して、意識を創発されたものではなく、もともと「基本的語彙」として実在に遍在的に伴って考えるべきものと見なす、D・Chalmersの見解や、量子状態と古典的状態とを区別することを批判し、「収縮」の際の主観的選択を、孤立したものではなく遍在的なものと見なす、唯心論物理学の利点を確かめることができた。 さらに決定論に対する意識の自発性に関しては、決定論自体が無前提ではなく、自らの形式の及ばない地点を持つことを、南部陽一郎の「自発的対称性の破れ」を参照し、一定の系の中を支配する法則が、その法則自身によっては説明されない地点を持ち、それが「自発的」と呼ばれたことを確認した。
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今後の研究の推進方策 |
平成30年度が研究の最終年度になるが、当初の予定通り、世界を単純な「存在」からの創発とは見なさず、物質と精神との対立も含め、世界を無限定な実在の分化の結果と考えた思想の妥当性を検討する。ただしその妥当性を、実在の分化を主張する思想家のテキストだけを検討することではなく、決定論的世界の根底に、決定論が妥当しない領域を見出す思想から照射し直す。 具体的には、29年度以前に扱った、PenroseやStappなどの理論を、非決定論的な量子状態と、決定論的な古典的世界との境界領域を扱った思想として捉え直し、しかも彼らが古典的世界を基本的な状態として見なしたことに、問題点を見出す。南部の理論についても、ある基底状態と保存則とが支配する世界が、それらの法則があてはまらない状態から生じてきたと見なす思想として、理解を試みる。 そしてこれらの検討を、平成30年度の当初の研究計画であった、中立一元論の特徴となる「無限定」からの世界成立と、創発説における「無からの創発」との対比に応用させる。創発説における「無からの創発」とは、因果の未成立、さらに時間の未成立と考えられるのに対して、「無限定」には時間の未成立というニュアンスは薄い。実際、「無限定」の思想を展開した西田にとって、始原の問題は中心的な課題ではなかった。つまり、この非直線的な「無限定」と、時間の始原という問題意識の違いが、中立一元論と創発説との違いを形づくっている。それを明らかにする試みとして、「無の場所」に関して西田が時間と因果とをどのように扱ったかを究明する。 またそこでは、宇宙創出の「原始偶然」を、偶然論の極北の問題として正面から取り扱った九鬼周造の議論を参照する。九鬼はそこで「原始偶然」を必然性からの逸脱の極みとして位置づけたが、それは決定論が自らとは異なるものに立脚せざるを得ない、という思想にも通じるからである。
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次年度使用額が生じた理由 |
B-Aの価格にあたる2121円は、当初予定した物品購入が、価格の端数のため、交付額に厳密に合わせることができなかったために生じたものである。したがって、実質的な研究計画の不履行によって生じたものではない。 30年度は当初の予定通りの研究計画の履行に加え、World Congress of Philosophy北京大会への参加、発表など、相応の額の出費が必要となり、交付される助成金は予定通り支出される見込みである。
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