研究課題/領域番号 |
15K02114
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研究機関 | 岡山大学 |
研究代表者 |
山本 宏子 岡山大学, 教育学研究科(研究院), 教授 (70362944)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | ティンパニ / ターキッシュクレセント / 文化変容 / ドレスデン / アウグスト強王 / オスマン軍楽隊 / 太鼓文化 |
研究実績の概要 |
ヨーロッパ社会が、アジアの鍋型太鼓を導入して、ティンパニへと変容させたのは衆知のことである。本研究は、ヨーロッパ社会がアジアの太鼓文化を取り入れる過程で、太鼓の形態や音楽の構造だけでなく、太鼓の持つ象徴性や機能を、どのように変容させていったかを分析考察することを目的としている。 鍋型太鼓を導入したきっかけは、1683年のオスマン帝国イェニチェリ軍による「ウィーン包囲」とされる。からくも陥落を免れたウィーンの人々は、オスマンの軍楽隊メフテルを懐かしく思うようになり、その鍋型太鼓を使うようになったという説が流布している。確かに、ヨーロッパにとって、オスマンは脅威であっただけでなく、同時にその文化は憧憬の的でもあった。しかしながら、これまでに知られた軍楽隊メフテルについての情報を分析すると、定説に反して、ウィーンの神聖ローマ皇帝カール6世ではなく、ザクセン選帝侯でありポーランド王であるアウグスト2世(1670‐1733)と関わっているのがわかった。つまり「ザクセンの都ドレスデンやポーランドの都クラクフ」で、「アウグスト2世や彼の嫡出子、庶子の祝祭」において軍楽隊メフテルが出現したことが明らかになった。 ザクセン(現ドイツ)のドレスデンは、オーストリアのウィーンと異なり直接オスマン軍からの脅威を受けたことがない。しかしながら、ザクセンの歴代の君主たちがオスマンと外交・戦争を繰り返してきた結果、ドレスデンにはオスマンに関する一級史料が大量に蓄積されている。戦利品である太鼓やそれらを使用した祝祭を描いたエッチングを中心に、ザクセンおよび、比較のためにバイエルンの武器博物館や美術館などで実見調査し、研究に資するデータの収集をおこなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2015年9月2日から9月14日まで、ドイツのミュンヘン・ニュルンベルグ・ライプチッヒ・ドレスデン・マイセン、オーストリアのザルツブルグで、文献の収集をおこなった。さらに、オスマンからの戦利品およびそれから変容した楽器の実見記録と写真記録の作成をおこなった。ライプチッヒのグラッシー博物館に1対の鍋型太鼓Pauken- Paarが13点、単独の鍋型太鼓Paukeが1点、シェレンバウムSchellenbaume(逐語訳は鈴の木、ターキッシュクレセントのこと)が6点、行進用の指揮棒Prozessionsstab2点が収蔵されているのを確認した。ニュルンベルグのカイザーブルク博物館でも、シェレンバウム2点の所蔵を確認した。ドレスデンでは、城壁の壁画「君主の行進Der Furstenzug」の先頭に、馬に付けた1対の鍋型太鼓を打ちながら行進する人物を確認した。また、ドレスデン博物館では、オスマン・トルコ展示室で、鍋型太鼓を確認した。連邦国国防軍軍事歴史博物館では、シェレンバウム1点を確認した。 オスマン・トルコ軍の幡であるチュゲンが、鍋型太鼓と一対でザクセンに伝播し、シェレンバウムと呼ばれるようになったが、鍋型太鼓に比べ、変容が追いやすいシェレンバウムは一種の指標となり得て、イコノロジーの視点から伝播を探ることができると考えるに至った。
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今後の研究の推進方策 |
シュレンバムをイコノロジーの視点から比較考察した結果、オスマン・トルコのチュウゲンから明らかに変容を遂げたと捉えられるデザインを持つものがあることがわかった。そのデザインは、チロルの習俗の影響を受けているという情報を得た。変容後のシュレンバウムのサンプル数を増やすために、2016年度は当初予定していた調査以外に、スイスとドイツとの国境付近で鍋型太鼓とシュレンバムの調査を行う。 また、当初予定していたように、1.引き続きドレスデンで史料を収集し、分析・検討をおこなう。2.軍楽隊メフテルを使用したといわれるグルックのオペラが及ぼした影響について、分析・検討をおこなう。3.モーツアルトの書簡から、グルックやオスマン(トルコ)音楽に関わる記述を分析する。
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