昨年、一昨年に続き、仮説の確認のための、資料を収集した。チェコのプラハでは、国立博物館(楽器博物館)で、ティンパニとターキッシュ・クレセントの調査をおこなった。ドイツ語および英語の多数の楽器図鑑などでターキッシュ・クレセントとして写真が掲載されている実物がプラハ博物館ではなく、地方の城博物館の収蔵であることがわかった。本来ならば調査日程を変更しても訪れるべきであるが、今回は、冬季のため開場していないので訪問することはかなわなかった。プラハから日帰りでクトナー・ホラに行き、墓地美術館でオスマン人の意匠を確認した。プラハ市内の教会や博物館で「顔のある月に立つマリア像」を数点確認した。チャスキー・クロムロフおよびチェスケー・ブディェヨヴィツェで同様の調査をおこない、数点の資料を得た。 ザルツブルグでも「顔のある月に立つマリア像」を確認した。また、トルコをテーマとした楽曲の楽譜使用を収集した。 ミュンヘンでは、州立グラフィック収集館で、デューラーが1515年描いたティンパニとトランペットの合奏図の確認をおこなった。また、ミュンヘン市立博物館楽器部門でティンパニとターキッシュ・クレセントの調査をおこなった。 現在、それらの資料の整理中である。 第一次ウィーン包囲のころにヨーロッパ・キリスト教世界が抱いていたオスマンに対する 感情は、教会における絵画作品・工芸作品から知ることができよう。第二次ウィーン包囲のあとでは、オスマンそのものに対する脅威ではなく、むしろヨーロッパ社会のなかで、各王国がどのような新しい秩序をつくるかに、オスマンからの戦利品が使われたのではないかと考えられる。さらに戦いを表現する打楽器が、新たに音楽機能を獲得し、ヨーロッパ社会の音楽文化に変容をもたらしたと考えられる。今後は、仮説を裏付けるために、収集した資料を詳細に分析する予定である。
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