研究課題/領域番号 |
15K02156
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研究機関 | 福岡大学 |
研究代表者 |
浦上 雅司 福岡大学, 人文学部, 教授 (60185080)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 17世紀ローマにおける美術受容 / 兄弟会活動と美術 / 17世紀ローマ美術市場 / 17世紀ローマの庶民と美術 |
研究実績の概要 |
本研究は、16世紀末から17世紀初頭のローマにおける、庶民を巡る美術状況の変化を多角的に考察し、そうした新しい状況が宗教美術の表現にどのように反映されているか、明らかにすることを目的としており、平成29年度もこの基本方針に沿って研究を進めた。 ジュリオ・マンチーニが1620年代に著述した「美術愛好家」向けの美術論で「ローマではほどほど(mediocre)の地位と財産の人も絵画を買って楽しむようになっている」と述べているが、1656年に実施されたローマの住民調査の結果を勘案すると、この時期ローマに暮らす人びとの大半が潜在的「美術愛好家」だったと考えられる。 17世紀初頭のローマでは、幾つかの聖堂で奉献された聖人の祝日に絵画が展示され公開されるなど、庶民と美術との関わりは日常的なものとなっていたし、ローマに定住したフランドルの画家たちが、風景画など得意とするジャンルの絵画を一般向けに制作・販売していた。旅籠や居酒屋など庶民に身近な場所でも壁に絵画が飾られ、決して豊かではない人びとも自宅に宗教画や静物画などを持っていた。 この時期のローマでは、また、現在の民衆向けジャーナリズムの元祖とも言うべき、噂話や笑い話、特筆すべき出来事などを興味深く伝える小冊子が多数、出版されており、少なくとも文字の読める人びとにとって(ローマ男性の識字率は高かった)日常的に接する文化の領域は拡大していた。社会階層を越えた組織である「兄弟会」は庶民にとって文化的刺激を受ける場として機能した。 こうした知見は17世紀初頭のローマにおける庶民の文化との関わりが幅広かったことを教えてくれる。彼らが聖堂を訪れ、祭壇画を見る時、聖画像として崇敬するだけでなく、美術作品として表現の特質に関心を持った可能性が大きいことが間接的にではあるが確認できたのは本年度の大きな成果だった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
平成29年度は本研究課題の最終年度だったが、学科主任として、カリキュラム改正や教職課程再認定など事務的な仕事に時間をとられ、ローマでの作品調査に出かける機会を失してしまった。このため、本年度の研究は、必然的に、当該時期のローマ庶民と美術の関係を扱う資料を日本で考察することについやされた。 インターネットが普及した今日、本研究に必要な16世紀から17世紀にかけて出版された一次資料にはネットで公開されているものもあり、また、これまでのヴァチカン図書館での調査によって入手済みの資料もあって、今年度はこうした資料の解読と解釈に時間を割いた。特に1)当該時期の聖堂に描かれた聖画像について、多様な社会階層の人々がどのように反応したのか同時代の証言に基づいて考察する、2)「兄弟会」の活動において美術がどのような役割を果たし、また、庶民会員はどのような立場にあったのか、を宗教美術との関係から解明する、の二点が研究の焦点となった。 前者については、この時期のローマに住む人々にとって、市内聖堂にある聖画像は教義に適っていることだけが問題だったのではなく、造形作品としても優れたものであることが望ましかったことが間接的に確認された。後者については、特に聖フィリッポ・ネリが行った庶民も巻き込む集会活動が際立って興味深かった。この集会ではキリスト教の歴史講話や賛美歌合唱が行われ、カーニバル時には七大教会巡礼行も企画され、開放的な雰囲気の中で庶民が多様な文化と接する機会が提供されていた。他の兄弟会も社会階層の差を超えた共同活動が行われ、庶民を巡る文化的環境は大きく変化していたのである。 冒頭にも述べたような理由で、それが実際の制作にどのように反映されたか考察するに至らなかったのは残念だったが、平成30年度にはこの時期に制作された聖画像に庶民の新しい姿がどのように表されているか考察する。
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今後の研究の推進方策 |
「現在までの進捗状況」でも述べたように、今年度の課題として残されているのは、16世紀末から17世紀初頭のローマに暮らす庶民の新しい姿が、実際の聖画像制作にどのように反映されているのか考察することである。 具体的には、まず、ドメニキーノが1612年から14年にかけて制作したサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂内ポレ礼拝堂に描いた《聖女チェチリア伝》壁画連作を取り上げて考察する。この礼拝堂には左右の壁面に《聖女チェチリアの施し》および《聖女チェチリアの殉教》が描かれているが、どちらも庶民が主要なモチーフとして登場している。前者において聖女の施しを争って受けとろうとする庶民は「劣った存在」として面白おかしく描写されているのに対して、後者では、殉教しつつある聖女に寄り添い、その流す血を海綿で拭って容器に収めようとする「高貴な存在」として描写されている。聖人に寄り添う「高貴な」庶民は、ドメニキーノの代表作である《聖ヒエロニムス最後の聖体拝領》にも登場する。聖画像における庶民描写のあり方についてこの時点でこの画家が新しい試みを行っていると想像される。画家は、17世紀初頭のローマにおける庶民の美術への新しい接し方を知った上で、作品表現に反映させていると考えられるだろう。 本年度は、ドメニキーノの関連作品について庶民表現の新しさとその理由を確認した上で、1610年代から20年代にかけて、当時の代表的画家によって描かれたサン・ピエトロ大聖堂の諸祭壇画に描かれた庶民の表現を比較検討し、17世紀初頭のローマ絵画における「庶民」表現の変化を浮彫にすることを目指す。
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次年度使用額が生じた理由 |
平成29年度は学科主任を務めることになったが、学科のカリキュラム改正、教職課程再認定の作業など、通常業務以外にも多くの事務作業が重なり、多忙であった。特に、ヴァチカン図書館が7月半ばから9月半ばまで長期の休業に入るため、夏期休業中に出張しても成果が上げにくく、例年、3月にローマに調査に行くのだが、本年度は、主任として卒業式参加など、欠席するのが困難な行事も多く、理由さえあれば、平成30年度まで補助金の支出延長が許可されるという情報もあって、主任の業務が終わって、比較的自由な時間が増える平成30年度になって研究を完成させるのが、より実り豊かな成果を上げられるものと判断した。繰り越された補助金は、研究に必要な資料の入手やデータベース使用料、および調査のための旅費として使用する。
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