研究課題/領域番号 |
15K02190
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研究機関 | 明治大学 |
研究代表者 |
須永 恒雄 明治大学, 法学部, 教授 (70106590)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 反ユダヤ主義 / 断罪 / 非寛容 / 宥和 / 差別 / 個人の多面性 / 曖昧な政治意識 / ドイツ人一般と個人 |
研究実績の概要 |
G.タボリは二度と祖国の土を踏むまいとの決意を、『食人鬼』の評判をきっかけに敢えて翻すこととなって、ヨーロッパに、即ち自身が被った災禍の中心地ドイツに帰還を果たすと、ウィーンに根を下ろして旺盛な活動を展開、反ユダヤ主義批判の渦中に於て爾余を以て代え難い宥和の代弁者となるが、その際彼は、一般的名辞に基づく抽象的批判を肯んずることなく、個人の多面的存在に着目する。その極端な例がヒトラーを主人公として、このホロコーストの代名詞たる人物にも、一個の人間としての陰影を探るところに成立した〈ファルス〉と銘打った戯曲『我が闘争』では、ヒトラーがヒトラーたるに至る以前の段階から始めて、その一般的イメージが形成されるまでの紆余曲折を物語る。物語は巧みに、弾劾断罪にも、称揚礼賛にも就かない、或る中間地点に視座を得て、いきおいそこに一抹の滑稽味さえ湛えた、悲喜交々のスペクトルを具えるに至る。 本研究では、そこに至る第一歩としての『食人鬼』から始めて、この作品が収容所内の極限状況下に於ける人間模様を想像力たくましく描き出すことであらゆく局面にも宿る日常とその倫理とを観客に考察させる一部始終を精査し、同様の極限状況足る障害者、被差別者の境遇を、それぞれ代表する諸作を通覧し、自身極限状況を体験したまさに人生の達人たるタボリの目にあやかって、戦後ドイツの真面目な反省とその非寛容への緩やかな対論を立ててみたい。 その傍らにフルトヴェングラーとジーバーベルクの業績と境遇を、反ユダヤ主義批判との関連から探り、両者のタボリと或る種好対照をなす在り方によって主題の輪郭線を明瞭に示したい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究初年度は、G.タボリがそれまでの意志を翻してヨーロッパ帰還を果たすきっかけとなった『食人鬼』について主として研究、作品自体の精査・精読にとともに、帰還後のヨーロッパにおける反ユダヤ主義否定のさまざまの局面、その発現の実例を調査した。反ユダヤ主義に加担したと目される文化人への批判は、もとよりある種の政治的意図を孕んだ偏向を伴うものであった。 必ずしも責めを負うべきでない人物が批判の矢面に立たされた一例として音楽家フルトヴェングラーに就てその経緯を調べてみた。ドイツ文化の粋を担う主要人物がナチス政権下のドイツに留まった是非については毀誉褒貶尽きないが、タボリのドイツへのまたヨーロッパへの批判と寛容の陰影もこれと無関係でない。個人の多面的相貌ないし人格と、公的信条との関係は、表裏一体ながら必ずしも一様でない。楽員のフルトヴェングラーへの全面的帰依と、国外亡命の著名文化人たちの反発断罪とはまさにその間の矛盾を露呈する。社会的政治的表明が、或る回路を経て、単刀直入な個人的信条告白とは別個の機能を帯びるに至るその機微を心得た表現機構を、ふりかえってタボリの舞台は弁えている。 即ちドイツ人一般という、一般的断罪対象の規定を肯ずることなく、個々のドイツ人のみを認めるタボリは、さらにその個々人の中にも紆余曲折の陰影を認めるに至るが、この宥和の視点は端的にヒトラーその人にも向けらる(『我が闘争』)。 戦後当初は禁止や極度の制限を受けたフルトヴェングラーの活動が徐々に解除されるに及びレコードジャケット等々に徐々に現れた記録類には必ずしも断罪されなかったナチス信奉者らの様子も明らかになりつつある。その曖昧な政治意識と、往々にして粛清に近い断罪の厳しさとの間には、主体客体双方に就て、一種表裏一体の関連が窺われるといってよい。その微妙な相互関係を、個々の資料にあたってさらに調査する予定である。
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今後の研究の推進方策 |
先ずは反ユダヤ主義を巡って寛容の立場を探る傍ら、タボリ作品に提示される、それ以外の諸々の差別への批判的視点と、その差別を自らも分かち合いながらそれを解消しようと努める営為を、障害者を扱う『赤人と白顔』及び『M』に即して探求する。 それぞれの作品研究の具体的詳細は研究結果を以て述べることとして、このタボリの一種独特の、見方によっては稀なる祝福された立場には恵まれようもなかった、いわば国家的大罪の加害者側の、したがって反ユダヤ主義批判のまさに渦中に翻弄された二人の芸術家を、さらに詳細に眺めてみたい。 即ちその一方のフルトヴェングラーに就いては、第2次大戦以前のそのキャリア形成過程から始めてそこで彼が私淑したユダヤ人音楽学者シェンカーをも視野に入れ、また戦中戦後の亡命音楽家・知識人たちからの非難に就いて、政治的判断の是非をめぐって調べてみたい。戦中戦後に世に問われたレコードのジャケットに、また今なお陸続と発掘される資料に明かされる、彼の周辺にあった芸術家たちの行状について調べたい。 方やジーバーベルクについては、累世の大作の「ドイツ生まれの映画」と銘打たれた膨大なヒトラー映画をいささか詳しく眺め、またその作品及び別の作品についての制作過程を明かした著作にも触れたい。さらには関連する主題を扱う現代に至る映画をも視野に入れて研究を進める予定である。 さらに、昨今ようやく一般的にも認知されつつある所謂アール・ブリュット即ち障害者や未開民族の芸術表現を視野に含めて、差別被差別の在り方と、タボリの信条でもある個々人各個の存在様態の尊重の観点について認識を深めることも目指したい。
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