研究課題/領域番号 |
15K02190
|
研究機関 | 明治大学 |
研究代表者 |
須永 恒雄 明治大学, 法学部, 専任教授 (70106590)
|
研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
|
キーワード | 差別 / 狂気 / 境界 / アール・ブリュット / 頽廃芸術 / パロディー / 本歌取り |
研究実績の概要 |
人種差別に基づくホロコーストという歴史的事象とは別枠ながら同じく越えがたい差別の対象となる障害者を扱う作品に注目したい。即ち『ヴァイスマンとロートゲジヒト』と『M』である。前者は障碍をかかえた娘と砂漠に置き去りになるところから始まる60年代の自作、とは即ちアメリカ時代の旧作テクストに基づく西部劇的登場人物たちの織り成すドラマは、マカロニ・ウェスタンならぬユダヤ・ウェスタンとも評された。また後者はエウリピデスのメデアを翻案により、障害者俳優のラートケを起用した比類のない舞台を開示したという。出来るかぎり周辺的資料も調査してタボリ独自の翻案の、文字通り原作への反歌を捧げる手際を眺めてみた。 これら2作を主な主題として、それにさまざまに関わる周辺的素材を種々援用しつつ、広義の差別、現今それに対する明確な意識の劣化の兆候が伺われるジャーナリズムのあり方にも目を配りつつ、諸相の考察を行ったが、その一例として、いわゆるアール・ブリュットの画家アドルフ・ヴェルフリの芸術について論文を作成、書籍として刊行できたのは幸いであった。 また、状況が整い次第、出張調査によって出来ればウィーン、ベルリン、ハンブルクなどで関係する舞台を観劇し、またベルリンのタボリアルヒーフそのための資料探索を試みる傍ら、ナチスから「頽廃芸術」の刻印を押された画家ノルデの作品を集めた美術館を北ドイツはゼービュルまで足を伸ばしたいと計画している。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
今年度の対象としたタボリの2作品(『ヴァイスマンとロートゲジヒト』と『M』)の分析と詳細にわたる紹介、また可能な範囲での翻訳は目下、進行途上にある。その作品そのもののみならず、それにたいする、とりわけ後者に対する世間の反応についてもさらに二次文献を調べたい。もとより偏狭な旧来の常識に囚われた観点からの抵抗を想定してのこれはアクチュアルな運動としての意味をも担っていたが、その点の反映を見る為である。。 比較対象ないし同じ主題の実例として追加してとりあげたスイスの「アール・ブリュット」の画家アドルフ・ヴェルフリ、この「障害者」画家を、ひいては「障害」芸術を、俎上に載せて衆目のもとに展覧した稀有のキュレーター、ハラルド・スツェーマンについても併せて紹介したが、本研究の主題の側面としてこの素材についてもう少し補って研究したい。なお、この自身芸術家でもある人物は、次なる研究の主題にも予定するつもりである。
|
今後の研究の推進方策 |
『食人鬼』『母の肝っ玉』『白人と赤顔』『M』を通して見られるモチーフとともに、それを扱う基本的態度について、すなわち或る種の本歌取りでもあるパロディーの技法が、この類の危険な主題に対処する一つの方法であることをも考察する。 すなわち原典とその翻案、という枠組から、すでに翻訳出版したタボリ版『我が闘争』においても対象化の原典としてテーマとなる、ヒトラー自身のプロパガンダ的自伝をも併せて参照する。その新規の公刊がドイツでごく最近まで禁じられていた状況そのものもまた当然ながら考察の対象たることを免れない。《タボリ版我が闘争》の拙訳が劇場機関誌の形での公刊であったところから注釈その他は限られたものとなった憾みが否定できないため、今回の成果の一端としてあらためてこの原典と比較を視野に入れた注釈を付した訳文を、新たに翻訳するものに加えて取り入れたいと考えている。 初めて接して無類の印象を受けた『ゴルトベルク変奏曲』についても、原典と翻案、主題と変奏といった観点から、この場合の原典である聖書とのさまざまな視角からの比較は、作者の技法を確認する上で有効な方法である。天地創造はまた芝居の舞台制作において繰り返されることをもテーマとするこの作品は、実際に鑑賞した舞台空間の使い方、演出面からの考察も不可欠である。裏と表、客席と舞台裏、その両面をひっくり返すところに作者の真骨頂があることを指摘したい。
|
次年度使用額が生じた理由 |
出張の予定が、日程の都合がつかず実行できなかったため、次年度9月か3月に変更したため。
|
次年度使用額の使用計画 |
今年度9月および3月、もしくはいずれかに出張の予定。ウィーン、ベルリン、ハンブルク、ゼービュールを目下予定している。
|