研究課題
ジョージ・タボリの『我が闘争』を初めとする、戦後ドイツの戦後処理の関連の中で、ナチスによるホロコーストへの反省の徹底性とともに一面性に対しての一種の異議申し立て並びにより包括的な視野からの寛容な姿勢の要請の側面を探るべく、今回は主に『M』という特異な作品を取り上げて研究調査を行った。エウリピデスの原作による、ひとつのパロディーとしての体裁をとるこの作品は、幾つかの点でタボリの寛容な視線の典型を示すものである。すなわち原作の男女のあるいは高下の身分の差別の問題に、犠牲者たる子供の視点から全体を眺めるという奇想天外の構成が設定される。次に、上演媒体に就いてのこれまた余人の思い及ばない着想によって、子供の役に、障碍者俳優のペーター・ラトケを起用したことが、大きな特徴である。ラトケは、それまで多少の俳優経験はあったものの、本格的な大舞台への登場はこれが初めてのことで、その舞台経験をつぶさに記録して、書物にまとめている。これは稀に見る芝居制作現場の記述として他を持って代え難い価値を有するものと評価できるが、タボリの舞台制作を、またタボリという希代の演劇人を、如実に語る貴重な資料で、その記述は具体的な制作現場のみならず自らの特殊な存在様態を語り、タボリの監督としてのみならず個人的な側面にも触れて、この演劇人の全体像の貴重な一部の叙述となっている。いま一つの原作の換骨奪胎のポイントは、子供に手を下す主体を、メデアからイアソンに移したことであるが、父と子と対話からじつはイアソンがメデアの意を体する、いわば人形でもあることが明かされる。なお、ベルリンへの出張では、タボリの上演に度々立ち会ったORFの制作者から貴重な話を聞くことが出来た。またウィーンでは精神病者の芸術治療施設『芸術家の家』を訪ねて、患者即ち上記障碍者俳優ラトケに類似の立場から芸術活動に勤しむ人々を取材が叶った幸いであった。
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明治大学教養論集 (539)
巻: 539 ページ: 1-35頁
Beitrae zur Japanologie 47(47), (Universitaet Wien)
巻: 47 ページ: 153-172
明治大学教養論集 534(2018・9)
巻: 534 ページ: 13-38