荻生徂徠の近世漢文学における意義は、中国明代における李攀竜・王世貞の「古文辞」学を踏襲したことにあるとされる。ただ徂徠論の多くは彼の著作を対象としているだけで、具体的な原拠は示さない。徂徠の著作において漢籍への引用は決して少なくはなく、特に徂徠詩文論を考える上で「文理三昧序」の冒頭に「文理」と「字義」に言及した虎白陳氏の言は重要である。『昇庵詩話』詩文論は、徂徠詩文論における詩式の基盤となっており、さらには「文理」「字義」を論じる上での具体的な典拠となっているからである。 葛西因是は唐の律詩に、情緒・諷託が幽遠であり、同時に字句が典麗であるとする。ここに葛西因是が唐の律詩を推奨する所以がある。葛西因是は金聖歎の注釈にも同様に「前後解」と「諷託」があるとし、それらは表裏の関係を成していると考えていた。つまり、語と語、句と句の関係を過度に取ることが、過度に寓意を取ることに自然と繋がっているとした。この両者を葛西因是は自ら詩論に受容している。ただ葛西因是詩論は、金聖歎詩論に収まらない。その機能的な解釈が元代詩論から続く格論にその淵源を確認することができるように、その寓意もまた金聖歎以外の詩論と決して無関係ではない。これが葛西因是の『通俗唐詩解』における詩論の骨格である。
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