近世における詩文標注者のなかでも、遯庵の注釈活動は群を抜いている。彼の注釈の内、唯一の抄物である万治四年(一六六一)の『頭書錦繍段抄』を始めとして、寛文四年(一六六四)の『錦繍段首書』、貞享元年(一六八四)の『錦繍段首書』、元禄十五年(一七〇二)の『錦繍段詳註』の標注を制作している。その『錦繍段』は、遯庵にとって創作する上でも重要な詩集であった。彼には『遯庵詩集』という詩集と『遯庵先生文集』という詩文集が存在するが、それら詩には、『錦繍段』の詩句引用が色濃く見られるからである。 さらにそれらのなかには、『錦繍段』注釈と関連する受容も見られる。遯庵が『錦繍段』の押韻・平仄を参考にしながら作詩をしていたとするならば、それは構造的に一詩を受容していたということである。そもそも遯庵は題を設定する場合、『錦繍段』の題を用いている場合がある。同様に詩の押韻をする際にも、遯庵は『錦繍段』を活用していると考えらえる。遯庵はの『漢和三五韻』は漢句の押韻ためでもあったはずである。同様に『錦繍段』標注も作詩のための語彙・詩句集であったと考えられる。そもそも、『首書錦繍段』『錦繍段詳註』の『錦繍段』本文には、それまでの「錦繍段抄」および遯庵自身の『頭書錦繍段抄』になかった題の上に墨の陰刻で、韻字が新たに示されている。そこには押韻の意識を見ることができる。その入り組んだ念入りな受容は、やはり彼の四度の注釈によって培われたものであると考えられる。
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