研究課題/領域番号 |
15K02262
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研究機関 | 大東文化大学 |
研究代表者 |
美留町 義雄 大東文化大学, 文学部, 教授 (40317649)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 森鴎外 / ドイツ留学 / ミュンヘン / ベルリン |
研究実績の概要 |
2016年6月18日に、日本比較文学会の第78回全国大会にて、「森鴎外とオクトーバーフェスト」について口頭発表を行った。森鴎外は、ミュンヘン滞在中の1886年10月3日、バイエルンの伝統的な国民祭であるオクトーバーフェスト(十月祭)を訪れている。現在この催しは世界一のビール祭りとして知られているが、十月祭の文献を調査すると、これが単なる祝宴ではなく、南ドイツの歴史と政治に深く根ざした祭事であることが分かる。特に、鴎外が訪れた1886年の十月祭は、バイエルン王国史上、重要かつ決定的な意味を持っていた。この発表では、『独逸日記』をはじめとするテクストにおいて、鴎外が実見したこの祝祭の文化史的背景を探り、ミュンヘンを舞台にした小説、『うたかたの記』との関連にまで論及した。 さらに、ドイツ語の論文、Mori Ogai in Deutschland (ドイツにおける森鴎外)を執筆し、OAG(ドイツ東洋文化研究会)の研究会報、「OAG Notizen」の6月号に掲載された。この論考では、ベルリンとミュンヘンにおける鴎外のドイツ体験を対照的に論じた。特にカフェハウスという場に注目し、『舞姫』におけるベルリンの喫茶店が、新聞や雑誌を数多く読める情報カフェとして描かれているのに対し、『うたかたの記』のミュンヘンの店が、若きアーティストが集う芸術家カフェとしての性格を持っている点を明らかにした。そして二つの都市を描き分ける鴎外の視点を考察した。 くわえて、NHKのラジオ講座において、「鴎外の見たドイツ」という番組を担当した。ライプチヒ~ドレスデン~ミュンヘン~ベルリンという、鴎外が滞在した各地域の歴史と文化を振り返り、彼のテクストとの関連で解説した。その結果はテキスト『まいにちドイツ語』2017年1月~3月号にまとめられ、出版されている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
鴎外が留学時代に経験したジャポニスムの諸相について、次の二点において調査した。 ①1885年8月に、ミュンヘンで開催された「日本展覧会」について:この時期、鴎外はまだこの土地にはいないが、後に親友となった原田直次郎がこの日本展を見ていた。ドイツ留学時代の原田に関する情報はきわめて少ない。しかし今回の調査で、ドイツ人の側から原田を記した重要な書物が見つかった。筆者は、同じミュンヘンのアカデミーで学んだハンス・フェヒナー(1860~1931年)という画家である。彼の自伝に、ミュンヘン生活を振り返った『画家の旅程 修業と喧騒の時代』がある。この本でフェヒナーは、美術学校での自由で放埓な学生生活を主題としており、第9章「異邦人たち」の中で、原田とこの「日本展」に行ったことが記されている。そこでは七宝焼きの工芸品を作る職人や、会場を練り歩く僧侶等が見られ、原田はフェヒナーに通訳や案内をしていた。ミュンヘンで初めて行われたこの日本展については、これまでほとんど知られていなかっただけに、こうした会場の実況や原田の解説は文化史上貴重な証言だといえるだろう。 ②鴎外のドイツ三部作において、当時の日本へ寄せられた関心を抽出することができた。『うたかたの記』は、原田をモデルとする主人公巨勢が、美術学校の学生たちのサークルに参入する場面から始まっている。まず彼を見舞うのは、不躾に向けられた美大生たちの「珍しげ」な視線である。ヨーロッパにおいて、「遠きやまとの画工」はまず「見つめらるゝ人」としてあった。同様に、鴎外の体験に基づく『文づかひ』においても、主人公の小林大尉は、ザクセンの貴族の館に招かれたおり、「珍しき日本人」の客として姫君たちから好奇の視線を浴びている。この時の視線に込められていたのは、神秘の国日本に関する興味だけではなく、未開で未知の土地に寄せる露骨な好奇心があった。
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今後の研究の推進方策 |
これまでの調査内容を肉付けするかたちで、原田直次郎やユーリウス・エクスター、およびガブリエル・マックスといった鴎外が交際した画家において、日本趣味がどのように現れるのか論考する。 エクスターには、原田を描いた『ある日本人の肖像』がある。エクスターは、原田に頼んで日本の服を着てもらい、その等身の姿を写した。東洋人風の姿形だけではなく、西洋では目にしない煙管、漆塗りの小物、花鳥画らしき模様が描かれた衝立、金模様の入った蓋つきの壺、これらをエクスターはきわめて丹念に模写している。本研究では、肖像画のモチーフを分析しつつ、日本的なるものを活写しようとしたエクスターの動機とその文化的背景を探りたい。 マックスが仏教や東洋哲学に関心を抱いていたことは、よく知られている。当時のヨーロッパは、近代産業の発達とともに、猛烈な勢いで生活の物質・功利主義化が進んでいた。マックスや多くの芸術家の眼には、人間の欲望を際限なく駆り立てるこうした近代化のプロセスが、退廃にしか映らなかった。本研究では、この背景のもと、マックスが神秘主義や降霊術等のオカルト的な精神主義に傾倒して行く過程を論考する。さらに、彼の反時代的な思想が、仏教や東洋哲学に対する関心へと繋がっていった事情を明らかにしたい。自伝でマックスは、「私の宗教は、彼らの生活を実践してこそいないが、インドの苦行僧の教えである」と述べている。彼にとって、近代という時代に毒されていない東洋は、一つの精神的な拠り所であった。本研究ではこの点に着目し、死や滅び、病や腐敗という主題に向き合い、怯まずにそれを描くマックスの画風において、世俗的な欲や執着を脱却する仏教的実践を論及する予定である。 なお、鴎外が見分したジャポニズムの諸相について、当初はドイツにおける日本学まで射程に入れていたが、進捗状況から判断すると、この項目は削らざるを得ないだろう。
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次年度使用額が生じた理由 |
今回、ミュンヘンにおけるジャポニスムに関連したドイツ語の資料をいくつか発見することができた。今年度はその精読・分析に追われたため、その他の文献をはじめとする物品費の消費ができずに終わってしまった。 ドイツ文学者や日本文学者と意見交換するために旅費を計上していたが、今年度は原稿の執筆、学会発表の準備に多くの時間を費やしたため、研究・調査旅行が計画通りにできなかった。 ドイツ語論文の校正のために、ネイティブ・スピーカーのアルバイト代を謝金として計上していた。しかし、今回執筆した論文は、招待講演の原稿だったために、校正は招待先の研究所が無償で行い、計上分が不要となった。
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次年度使用額の使用計画 |
収集の対象をジャポニスム関連図書に限らず、ヨーロッパ文学、歴史や文化史等の文献をも購入・精読する。また、鴎外の留学期(1884~1888年)以外の資料も備えたい。 森鴎外記念館(日本とドイツ)所蔵の資料には、まだ全集などに収録されていない文献がいくつかある。本年は、iPadやデジタルカメラ等の機器を購入し、画像でこれらの情報を収集する予定である。 国内(山形大学)やドイツ(ミュンヘン大学)へ研究・調査旅行を計画している。特に、ドイツでは、来年度に出版を予定している著書の画像資料を得たいと考えている。
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