研究課題/領域番号 |
15K02262
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研究機関 | 大東文化大学 |
研究代表者 |
美留町 義雄 大東文化大学, 文学部, 教授 (40317649)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 森鴎外 / ドイツ留学 / ミュンヘン / ベルリン / 原田直次郎 |
研究実績の概要 |
2017年度は、ドイツ留学時代の森鴎外について、これまでの成果を研究書『軍服を脱いだ鴎外―青年森林太郎のミュンヘン』にまとめる作業を行った。その際に、留学時代の友人、原田直次郎について新たな発見があった。ミュンヘンの日本学者アンドレア・ヒルナー氏が、原田と同じミュンヘンのアカデミーで学んだハンス・フェヒナーという画家の回想録の中に、原田に関する記述を見つけたのである。この回想録には、1885年8月、ミュンヘンで開催された「日本展覧会」について記されている。日本展は、この時期におけるドイツのジャポニスムの顕著な例である。以前から日本文化に関心のあったフェヒナーは、むろんこの展覧会を訪れていた。注目すべきことに、その際に彼を案内したのが原田直次郎だったのである。会場では、彫金師や陶工などの工房が建てられ、実演や販売がなされた。フェヒナーの回想では、原田と一緒にめぐるそれらの様子について記されている。留学時代の原田についてはほとんど情報がないため、この記述は非常に重要な資料といえる。執筆中の著書では、この回想録を訳出するかたちで、日本展と原田に関して詳細に報告することができるだろう。 また、今年度は二つの口頭発表を行った。「鴎外のベルリン、藤村のパリ―独仏戦争の歴史をめぐって―」(第44回島崎藤村学会全国大会)では、鴎外と藤村のヨーロッパ滞在を比較し、フランスから見たドイツが強大な軍事国家であり、脅威であったことを報告した。さらに、森鴎外記念館主催の講演「鴎外の見たドイツ」では、鴎外が滞在したライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリン各都市が、決して「ドイツ」とひとくくりにできない文化的多様性を有しており、鴎外もそのことを常に自覚していたことを論じた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2017年度は、執筆中の研究書『軍服を脱いだ鴎外―青年森林太郎のミュンヘン』との関連で、オクトーバーフェストについて考察を深めることができた。森鴎外は、ミュンヘン滞在中の1886年10月3日、バイエルンの伝統的な国民祭であるオクトーバーフェスト(十月祭)を訪れている。現在この催しは世界一のビール祭りとして知られているが、これは単なる祝宴ではなく、南ドイツの歴史と政治に深く根ざした祭事である。今回の調査では特に、鴎外が訪れた1886年の十月祭は、バイエルン王国史上、重要かつ決定的な意味を持つことが分かった。 1886年6月、国王ルートヴィッヒ二世は静養先の湖畔で謎の死を遂げる。民は混乱し、横死を巡って様々な憶測が飛び交い、政権を継いだ摂政ルイトポルトによる暗殺説まで流行した。国中が喪に服するなかで、本来ならこの年の十月祭も中止されるべきであったが、ルイトポルトは開催を強行する。というのも、この時期ルイトポルトは、自身に及んだ疑惑を払拭するため、積極的に国民と触れ合い、大衆派としての君主像をアピールしようとしていた。つまり摂政にとって十月祭は、絶好のプロパガンダの機会であったのだ。 鴎外は、『独逸日記』において、祭りの会場へ来臨する摂政や王族が、民衆にきわめて丁寧かつ親密に接する様を感嘆して眺めている。今回の分析で、彼の日記が、民に近い王家を演出するルイトポルトの思惑を克明に反映していることが理解できた。 反省点として挙げられるのは、オクトーバーフェストの文化史に立ち入るあまり、ジャポニスム関連の調査が当初の計画より進まなかった点である。ただし、鴎外の時代、オクトーバーフェストでは、アジア・アフリカなど属領の文化を紹介するショーが行われていたことが分かった。この方面からも、エキゾチックなものに寄せる列強の関心を分析することができると考えている。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度にあたる2018年度は、集大成となる研究書の出版に全力を注ぐ。現在、出版社と協議を重ねており、大修館書店にて刊行することが内定している。 また、8月末にベルリン自由大学にて行われる、「ドイツ語圏日本学会」に出席し、ミュンヘン大学のペーター・ペルトナー教授など、ドイツの研究者と意見交換をする予定である。その際、リニューアルされたベルリンの鴎外記念館を訪問し、館長ハラルト・ザロモン氏とも面会し、ドイツの研究者による最新の情報を集めたい。それらのデータも、刊行に間に合えば、研究書に加えることになるだろう。 著書では、写真などの図版が、論述を支える重要な資料となるだけではなく、それ自体が考察の対象となる。それゆえに、ドイツを訪れた際には、ベルリンだけではなく、ライプチヒやドレスデンにも足を延ばし、鴎外が留学した時代の都市の画像資料を集めたい。具体的には、Stadtgeschichtliches Museum LeipzigやStadtmuseum Dresden等の市立博物館にて調査を進める予定である。なお、鴎外と関連の深いゲーテについて基礎的な資料を閲覧・収集するために、ワイマールのゲーテ・ハウスならびにゲーテ協会を訪問する。 著書が刊行された後、日本独文学会、日本近代文学会、日本比較文学会に所属する研究者たちと、内容について討議する。機会があれば、シンポジウム形式の研究会を開催したい。 著書がミュンヘン時代の森鴎外に関する内容となるため、当初の計画のジャポニスムを中心に据えた研究から、ややシフト・チェンジを迫られることになった。しかし、ガブリエル・マックスやユーリウス・エクスター、そしてツェツィーリア・プファフなど、鴎外がミュンヘンで知り合った芸術家に関しては、彼らの東洋趣味をかなり詳細に調べることができ、著書の中で詳述したいと考えている。
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次年度使用額が生じた理由 |
当初、新聞・雑誌類を物品費で購入する予定であったが、オンラインで閲覧できることが判明し、無料で利用することができた。 ドイツへの調査旅行を計上していたが、最終年度に繰り延べになり、旅費の支出が低くなった。今夏にその目的を果たしたい。 翻訳、データ入力のために謝金を見積もっていたが、データベースの構築よりも、著書を出版する方を優先した。著書がデータベースの役割を果たすことを期待したい。また、翻訳は研究代表者自ら行った。
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