研究課題/領域番号 |
15K02267
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研究機関 | 日本大学 |
研究代表者 |
山岸 郁子 日本大学, 経済学部, 教授 (90256785)
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研究分担者 |
十重田 裕一 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (40237053)
山本 芳明 学習院大学, 文学部, 教授 (90191460)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 文化資源 / 高度経済成長 / 文学館 / 文学の大衆化 / 文学全集 |
研究実績の概要 |
一九五〇年代は、朝鮮戦争の勃発や冷戦の深刻化などを背景に社会状況が変化する一方、高度経済成長の中で大衆消費社会へ日本が変貌していく時期であった。「文学」もまた大衆化時代に入り、古典文学や海外文学を含めて「文学」の再生産の装置が整備され市場を拡大していた。中間小説、時代小説、推理小説の攻勢に押されていた時代に、その過去の文学作品を集大成した日本近代文学全集が次々に出版されたということは、それらの読者あるいは購買者が大量に出現したということであり、それらの購買者の大部分は、文学愛好者とは異なった層であった。 この時代の知の大衆化と一九三〇年代の円本ブームの類似性はその経済的な背景によるものが大きいが、明治・大正の文壇文学いわゆる純文学作品を商品として大量に売ることに成功し、文学を読むことが日本国民として必要な教養であるといった認識が広がり、新しい読者が誕生するという構図は同じである。そうした文学の潜在的読者を購買者にし、文学の読者として囲い込むためには、読者に作家や作品をわかりやすく案内し、解説する必要があった。戦後の全集では円本にあった各巻の巻頭に著者の肖像写真や筆蹟を掲げるだけでなく、巻末に解説や作家案内、年譜を付し、挟み込みの月報には著者についての書き下ろしのエッセイを何本か掲載し、注釈を付し、巻末や月報に既発表の作家論や参考文献目録まで収めるものもあった。一九三〇年代に円本ブームによって作家は今までにないほどの印税を手にするが、戦後の文学全集ブームにおいては作家のみならず文学を解説する仕事の需要が格段に増えたのである。文学全集や文庫の解説の執筆は著者所縁の人物、作品に詳しい文芸評論家、そして近代文学研究者に依頼された。 文学への信頼を疑わない読者の拡大が、文学産業を豊かにし、評論家並びに近代文学研究者の仕事を安定化させていったのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
高度成長期以降の産業政策や国土開発をめぐる状況の変化を前提としつつ、地域における「文学」や「文学者」が地方の固有性を裏付けるとともに、地方振興にも役立っていたことを証明するために、「文学館」の調査を行った。例えば地方文学館設立の趣意書を見ると、地方行政が文学館設立に大きな期待を寄せ、協力的な姿勢で臨んでいたことがよくわかる。地方の側で期待されたのは、何よりもその地方が固有であることを「文学者」や「文学」作品の中に見出し、学問的に証明してもらうことであった。地方の文化資産としての「文学」作品ならびに「文学者」が再発見される社会的な背景(事情)がそこにはあったのである。このような要因により、「文学」や「文学者」はその意味を見出され、展示され、保護される資源となっていったのである。展示方法は概ね「文学者」の足跡を歴史的に辿り、「文学」作品をその中に位置づけ、顕彰するといったものであった。文学館の展示における「資料」の選択とその配列には、「文学者」の身体性とその土地の風土性が反映されていた。風土が作家の内面を作り出したのだという作家研究に裏付けられたものである。 現在地方の文学館は入館者数が伸び悩んでいるところが多く、経営面での実績を常に問われているのが現状である。また指定管理者制度、公益法人制度改革によって入館者数等の実績のみを問われるようになっている厳しい状況(財務状況)についても調査を行うことができた。
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今後の研究の推進方策 |
様々な政策分野において中央集権型の計画策定にもとづく経済発展に向けた産業政策が行われたが、その一方では地方行政(特に財源確保)の必要性を強調するためにも地域では固有の歴史・風土・文化・民俗性などそこにしかない資産を発見する必要があり、その一つとして「作家」や「文学」が顕彰された過程について調査を引き続き行う。 また、戦後の規制緩和によって都市部の大企業との競争から地方中小企業を保護し、公共工事を通じて経済成長の成果を農村地域へ還流させようとした。しかしその土地の特質を無視しての均質化政策には当然無理があった。文学産業の成熟期は調査によるとおそらく一九七七年頃であり、全集の編集、注釈、解説などの需要を作家・評論家・研究者そしてプレ評論家・研究者が分け合って担当した。松田修は「国文学‘79」(『文芸年鑑』一九八〇)において「出版が研究を促進し誘発している」といった出版先行の状況を述べている。そして「その神話的なまどろみも覚醒に移行し、方法への無自覚の毒がまわりはじめている」としている。実際この後全集出版の企画数は緩やかに減少し、近代文学研究の基盤も徐々に衰弱していくのである。 いわゆるニューアカデミズム最盛期の一九八四年から各大手新聞は評論家や作家による文藝時評を廃止し、その代りに文化部の記者が署名入りで月評を書くとともに、評論家の「文芸季評」を載せるようになった。一九九〇年代に入ると、文藝時評の掲載回数や分量が減りはじめる。これは文学産業全体が下降線を辿っていくことを示している。 これら文学産業の衰退の実態を明らかにしつつ、今後時代に合った文学の役割の可能性について検討する予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
日本近代文学館・神奈川近代文学館・司馬遼太郎記念館・京都府内文学館などアクセスのしやすい文学館を中心に調査を行ない、遠隔地を次年度に計画したため。 また各自が設定した研究対象に関して、産業と地域社会との関係性について調査研究を進めるとともに、それぞれの研究成果について異なる研究視角や方法論から批判的に検討するために次年度に他領域の研究者との研究会を予定している。
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次年度使用額の使用計画 |
次年度は九州(鹿児島文学館・遠藤周作記念館・松本清張記念館)、台湾文学館(台南 統治時代の日本人作家資料を収蔵)の調査を計画している。高度経済成長期研究の経済・社会学者との共同研究会を開催する予定である。 また資料はデータ化しパソコンに随時集積しているが、次年度はデータベースを構築し、HPを通じて公開する予定である。
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