本研究は、日本占領下北京における日本語文学及びメディアの様相を明らかにすべく、基礎資料の収集と整理を行うものである。まずは、一年目と二年目に引き続き、当時北京で発行されていた唯一の日本語新聞、『東亜新報』北京版の1941年9月から1942年7月までの撮影・保存を行った(1942年6月欠)。日本国内での所蔵がほぼ皆無であることから、昨年度までと同様、研究分担者とともに上海図書館に出張し、デジタルカメラによる撮影を行った。撮影は1ショット20元と極めて高額であることから、全頁撮影は不可能であり、朝・夕1面と文芸欄を中心に撮影を行い、未撮影の文芸・文化関連記事は筆記によって記録した。出張後は、研究分担者とともに文芸記事目録の作成を行い、1939年7月~1940年12月までを完成させた。また、本年度は調査結果をもとに、2本の研究論文を公表した。以上が、『東亜新報』についての調査の現状であるが、次の研究課題では継続して『東亜新報』後半の撮影を行うとともに、文芸記事目録の完成を予定している。 また、北京国家図書館に出張し、天津で発行されていた総合雑誌『北支那』の閲覧と一部複写を行い、さらに『東亜新報』の寄贈図書欄、新刊紹介欄に記載があった雑誌の所蔵確認を行った。これらの資料については、次の研究課題のなかで活用する予定である。本年度の調査によって、『北支那』に執筆している文学者・文化人と、『燕京文学』『東亜新報』とのつながりが浮かび上がってきた。今後は『北支那』の内容の分析と、今回の調査で所蔵が確認できた資料の収集と分析をすすめ、天津・北京文化人のネットワークを解明していきたい。
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