最終年度は、17世紀イギリス詩における手稿の回覧と類似した役割を持つ、楽曲にのせて歌われるパフォーマンスとしての詩という問題を考察した。詩を楽曲にのせて歌う慣習は古来のもので、ルネサンス期においてもJohn Dowlandなどの音楽家が活躍したが、17世紀に入ると、これに代わり、Henry Lawesなどに代表される朗唱(declamation)の形式が流行し始めた。「朗唱」は、歌詞を単音のメロディー・ラインに乗せ、ヴィオラ・ダ・ガンバやリュートで伴奏するものであったが、詩の言葉自体のリズムやイントネーションを活かした楽曲であるため、歌詞が聴き取りにくいという従来の歌曲の欠点を解消した形式であり、その意味で、歌詞である詩の言語の意味とその芸術性がより直接的に伝わるものであった。そのような朗唱歌曲の第一人者であったHenry Lawesは、チャールズⅠ世の宮廷楽師として活躍し、James Shirley、Thomas Carew、Robert Herrick、William Davenant、Richard Lovelace、John Suckling等の詩人たちの詩に楽曲を提供した。これらの詩人にとって、詩の公表は基本的に手稿の回覧によるものであったが、それに加え、宮廷等で催される音楽会や仮面劇で「歌われる」こともまた彼らの詩の重要な公表手段であった。手稿の回覧は一部の上流階級の読者を想定していたが、歌われる詩もまた、特定の聴衆を想定して書かれるという意味で、回覧文化の一翼をなしていたとみることができる。また、Lawes は、共和制期に入っても自宅での音楽サロンを継続したが、それもまた、王党派文学サークルにおける詩の回覧と同様、失われた宮廷文化の継承に貢献したことを明らかにした。
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