本研究では、現代アイルランド演劇で大きな影響力を持つトム・マーフィー、ブライアン・フリール、コナー・マクファーソンなどの戯曲における身体表象の特異性に着目し、その先駆と見なしうるW.B.イェイツやJ.M.シングによる20世紀初頭の作品から、モダニズム文学を牽引したジェイムズ・ジョイスや、戦後のサミュエル・ベケットの作品を経て現代に至る20世紀アイルランド文学・演劇の「変身・変容」のテーマの変遷を多層的に明示化した。とりわけ、このテーマにおいて、社会で抑圧されたり罪悪感に打ちひしがれたりする個々人の本質的な変容が描かれること、また、個人の過去が国家の歴史とオーバーラップすることで、隠喩としての国家の変容や植民地支配下でのナショナリズムの表象に結び付くことも少なくないことを明らかにすると共に、こうした変身と変容の主題が、カフェ、パブ、診療所、ミュージックホールなど、不特定多数の人間が出入りすることが可能な公共空間で、あるいは客間や玄関ホールなど、私的空間と公共空間が一時的に重なる空間で起こるものとして表象されることが多いことを明らかにした。また、こうした表象が、伝統的なカトリック教会が担ってきた「告白」の文化と密接に関係しつつ、宗教の世俗的代替物として機能する可能性を示した。特にこの点では、アイルランド文学研究における空間の表象研究との結節点を模索し、当該分野の研究者達との研究討議を経て、国際シンポジウムでその成果を明らかにした。
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