本研究では、ダンテの『俗語論』が提示した「高貴な俗語」の理念をいかに解釈するかという問いが「言語問題」における枢要な論争点であったことに注目した。たとえば、トリッシーノやペルティカリのような「イタリア主義者」は、「高貴な俗語」が「言語」の次元にあるものとして、自らが主張するイタリア共通語の根拠とした。それに対して、マキャヴェッリやマンゾーニのような「フィレンツェ主義者」は、「高貴な俗語」は文体上の様式にすぎないとして、フィレンツェ語の中心性を確保しようとした。本研究は、立場決定の試金石としての『俗語論』の役割に注目することで、イタリアの言語問題のもつ言語思想史上の意義を明らかにした。
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