本研究は、世紀転換期のプラハを背景に生まれたドイツ語文学が、第二次世界大戦後に受容されてきた過程を検証する。そこでは、受容者自身が社会的・文化的な境界に身を置いたとき、プラハの過去との対話をとおして積極的な表現活動の主体となるという文化生産・創造のメカニズムが働いてきた。このメカニズムを、1960 年代から 2000 年代にかけて、それぞれ異なった社会文化的コンテクストのもとで著作活動を展開した知識人に即して検討することで、プラハの複数文化的環境の記憶とそこから生まれた文学の社会文化史的な機制とその意義を明らかにする。 本研究ではマグリス、モニーコヴァー、デーメツを取り上げ、彼らのテクストを分析した。多言語都市トリエステ出身のマグリスは、境界文学という概念を導入し、文化的アイデンティティの不安定性そのものをアイデンティティの核とする人間存在とその表現活動を、プラハにあらわれたドイツ語およびチェコ語文学に認めた。そうした不安定性が増幅されるとき文学創造のポテンシャルが強化されるという彼の指摘は、「プラハの春」後にチェコを去ってドイツ語作家となったモニーコヴァーの文学の特質を衝いている。彼女は、徹底的にカフカ作品と対決し、ドイツ語圏における越境文学のひとつのプロトタイプを生み出すにいたった。同様にチェコ出身でアメリカに移って活躍したデーメツは、体制転換後にプラハを再訪したことを契機に、チェコ-ドイツ-ユダヤの文化複合の歴史をたどる著作を多く発表している。その執筆活動は、つねに越境的だった家族の歴史およびその文化的アイデンティティを言語化する作業そのものである。以上のような成果は、近年提唱されている地域文学史プロジェクトとも接合されるべきであり、その最新の研究状況と研究史的意義について現時点での評価をおこなった。
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