本研究ではローマ支配下のユダヤ・サマリア地方の徴税制度についてヨセフスを主な手がかりに検討し、その結果に基づいて「ルカによる福音書」のなかで徴税人が登場するテクストを編集史的に解釈した。 2018年度はルカによる福音書18章9節~14節の「ファリサイ派と徴税人の祈りの譬」について検討し、日本新約学会で学会発表を行った。この譬の分析から2つの点が明らかとなった。まず、ルカによる福音書の著者はこの譬を、ルカ文書に描かれる社会世界において十分な権利を持たない人々(やもめやこども)や嫌悪された人々(徴税人)が神の国に受け入れられ、ファリサイ派といった確固とした社会的地位のある人々が神の国から遠ざかることを示そうとした。次に、この譬においてファリサイ派は自らの義を誇るのに対して、徴税人は自分の罪を認めて胸を打つ。ルカ福音書は全ての読者に「認識の転換」としての「回心」を求めるが、その点で徴税人の姿こそキリスト者の姿のモデルとして示されている。 また、ヨセフスの述べる徴税人像について史料分析を行い、この中間的なまとめを関西聖書セミナーで発表した。長らく新約聖書学では福音書に登場する「徴税人」を「罪人」「卑賎視された職業」とする考え方があった。しかし、ヨセフスは徴税人をそのように見ていない。むしろ、福音書に見られるような「徴税人」を一段見下した見方はキケローやディオン・クリュソストモスといった1世紀のローマ世界の文献によく見られる。このような1世紀ローマ世界の徴税人を見下した見方こそが、ルカによる福音書の読者が持っていた前理解と考えられる。
|