羅振玉は、1911年から19年にかけて日本に滞在した。『吉石庵叢書』は、この時期の彼の古写本古刻本影印活動を具体的に示す、代表的な刊行物とみなすことができる。そこには羅振玉自身が蔵する敦煌出土文献の影印などもあるが、多くは日本に伝存する典籍であった。影印の許可を得るまでの経緯は、それぞれの典籍の影印典籍の跋文に記されていることもあるが、これまでその詳細はあまり明らかではなかった。 同志社大学図書館徳富文庫中に、羅振玉から徳富蘇峰に宛てた書簡が保存されていた。その内容を検討すると、蘇峰蔵書の影印の経緯が示されていた。本年度はこの書簡を足がかりとして、羅振玉の古写本古刻本捜索と影印活動の一端を復元することとした。本作業の一環として、蘇峰の蔵書を保存する石川武美記念図書館成簣堂文庫において蔵書の調査をおこなった。羅振玉が蘇峰の蔵書を借覧したことを示す識語とともに、蔵書に挟み込まれていた羅振玉の手紙3通を発見し、同志社大学所蔵書簡類に加えることが出来たのは、本年度の大きな成果であった。今回明らかになったのは、京都に暮らしていた羅振玉が、東京の蘇峰に対して、借覧を求め、また所蔵を尋ねる手紙を次々と送り、蘇峰もまたその要望に応えていたということである。本書簡群は、羅振玉の古写本古刻本の調査と影印に、日本人がどのように協力したかを示す貴重な資料であった。この書簡群は、翻訳と必要な注を附して、『紀要』に発表した。また中国で開催された学会と講演において報告紹介した。その内容は2018年中に中国の学術誌に掲載の予定である(原稿は、2017年に提出済み)。 その他、羅振玉によって広く日中の学界に知られることになった『王勃集』古鈔本のテキストとしての価値について、中国で報告した。更に王勃の文学の同時期の日本の漢文にどのような影響を与えたのかについて、特に散文に注目し、中国で報告した。
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