『金鍾漢全集』(大村益夫・沈元燮ほか編,緑蔭書房,2005)刊行後,編者の沈元燮により「金鍾漢の初期文学修行時代について」(2007)を始めとして,金鍾漢の作詩過程や背景が集中的に論じられると,朴チヨン「金鍾漢『庭園師(園丁)』論」(2014),同「金鍾漢『雪白集』研究」(2015),朴スヨン「日帝末韓国文学のローカリズムに対する内部と外部の視角:金鍾漢を中心に」(2016)等,個別の作品論へと研究が深化した。 例えば,朴チヨンは「園丁」(『国民文学』1942年1月)が『ナチス詩集』(ぐろりあ・そさえて,1941年)所収の詩と類似している点を指摘し,また,「園丁」において,「年おいた山梨の木」に接木される「林檎の嫩枝」のどちらを日本(朝鮮)と見なすかという,詩の主題の根幹に関わる解釈について,沈元燮「金鍾漢の親日詩と詩論研究」(2010)を挙げて問題提起している。また,郭炯徳によって,則武三雄の回想文「金鍾漢の思ひ出」および金鍾漢の詩「光塵」(『国民詩人』1944年12月,人文社),金鍾漢の随筆「睡蓮」および詩「夕顔」(『日本婦人 朝鮮版』1944年9月,毎日新報社)が紹介された(『近代書誌』第12号・13号,2016年2・6月)。韓国での研究の深化を受けて,金鍾漢の生涯と作品を初めて本格的に論じた大村益夫「金鐘漢について」(1979),大村の論に書誌的事項を補って論じた藤石貴代「金鍾漢論」(1989)を再検討した。 併せて,日本内地の「地方」においても,戦時体制下の文学革新運動として「国民文学」が推進された例を,新潟で発刊された詩誌『詩と詩人』(1939-57)の調査により確認したが,主幹の浅井十三郎(1908-56:本名,淺井與三郎。のち關矢與三郎)と金鍾漢に共通する「(新)地方主義」「史詩」について,新潟在住の詩人・研究者とともに研究会を開催し,報告をおこなった。
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