今年度は1940年代前半期に若手詩人として活躍し、1940年代後半期に韓国のモダニズム運動をけん引する中心人物となった金璟麟の文学について、とりわけ彼の植民地期の詩を対象に検討を行った。1930年代のモダニズムと1950年代のモダニズムの断絶を補うのがまさに彼の文学活動であったと考えられる。しかし、そこには彼なりの文学ヘのこだわりと妥協がやはりあったことがうかがえる。彼の文学へのこだわりは詩の「技術」に集約され、時局に伴う政治的言説に一定の理解を示しつつも、少なからぬ戸惑いを見せていたことをうかがうことができた。 本研究の全期間を通じて目標に設定したのは、太平洋戦争下で抑圧された状況にあった朝鮮の文人たちの創作活動がどのようなものであったのか、当時の文学者たちが日本に対してどのような姿勢を見せ、それが太平洋戦争以前、あるいは以後との関係の中でどのように位置付けることが可能であるのかを検討することであった。本研究では、とくに太平洋戦争下の日本語詩に一定の比重をおきつつ資料を収集し検討を行った。成果として、主として1940年代に文学活動を行った若手文学者らに関する資料を整理するとともに呉章煥をはじめとする個別文学者に関する検討を行い、論文もしくは口頭発表の形式で発表した。 やり残した作業として、徐廷柱、金龍済、楊明文らの詩の個別検討があり、本テーマの最大の目標であった太平洋戦争下の朝鮮人詩人たちと日本との関係の全体的究明、日本語詩の類型的考察については膨大な資料と先行研究を十分に読み込み消化しきることができなかったことから論文としてまとめるまでには至らなかった。しかし、現段階で集めうる資料はおおむね集めており、今後時間をかけながら整理、まとめる段階にはあるものと考える。
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