日本による植民地期以後、東アジアから朝鮮半島へ、朝鮮半島から東アジアへ移住した人々を描いた韓国の小説と映像文学を分析してみると、新旧華僑華人が各時期別に多様な東アジア市民意識を形成してきたことが分かる。東アジアの華僑華人は、植民地期と開発/階級独裁期、中国の改革開放等の時期を経て、「植民型中間市民」から「同化型類似市民」へ、そして再び「中華型ネットワーク市民」へというように、それぞれ異なる類型の東アジア市民として成長してきた。 まず、西欧植民地期の間、植民者と先住民との間で「中間市民」としての地位を享受していた東アジアの華僑華人は、日本植民期への転換に伴い、先住民から弾圧を受ける地位に転落した。日本のとった反西欧・反中国政策のためである。中国と戦争中であった日本の植民統治期の朝鮮における華僑華人も、日本人と中国人間の中間市民的地位に置かれていた朝鮮人から集中的な攻撃を受ける他なかった。 植民地から抜け出し、開発/階級独裁時期に入った韓国と東南アジアの華僑華人は、それぞれの移住先となった国家の国民になることを強要されたが、求められた国籍を取得しても完全な国民になることはできなかった。市民でありながら市民としての権利を保持しない市民、即ち「類似市民」として暮らしていく他なかったのである。 改革開放以後、中国では二つの現象が生じた。即ち、旧華僑華人が東アジアの華商ネットワークを形成しながら帰郷する現象と、中国の朝鮮族などの新華僑華人が故郷を離れて韓国など東アジアの各国へと向かう現象である。旧華僑華人の場合、類似市民の地位から抜け出し、新華僑華人との疎通を通じて新しい中華型「ネットワーク市民」へと変貌していった。中国の急速な経済成長と共に起こり始めた再中国化現象は、その後、中国語と居住国の言語等を含む三ヶ国語での疎通が可能な中華型東アジア市民の意識を形成して行った。
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