研究課題/領域番号 |
15K02505
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
三谷 惠子 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 教授 (10229726)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | ボスニア / ユーゴスラヴィア / 標準語イデオロギー / 中世南スラヴ文献 |
研究実績の概要 |
科研実施の2年目にあたる今年度は、昨年度末に今年度の実施目標としてたてた(1)ボスニア内の少数民族の言語状況の調査、および政府・自治体における政策のあり方、(2)歴史的面から見た多言語地域ボスニア、について研究を進める予定であった。 (1)についてはしかしながら、今年度も学務等諸事情のため現地調査ができず、また現地からの十分な情報が得られなかったため、この点についてはさらに来年度の課題とせざるを得なかった。しかしいっぽう、28年8月に北海道大学スラブユーラシア研究センターで開催された「現代標準語イデオロギー」についての国際シンポジウムに参加し、そこで三谷はクロアチアにおける標準語イデオロギーの発露について発表したが、これにあわせてボスニアの状況についても考察した。ここで明らかになったのは、ボスニア内では現在も、クロアチア系住民はクロアチアの言語基準を重視した強いクロアチア志向をもっており、セルビア系住民はセルビア語式の基準に依拠しようとしており、ボシニャク人(連邦のイスラム系ボスニア人)たちは、独自の基準をさらに作り出そうとしている現状であった。東サラエヴォ(セルプスカ共和国)ではキリル文字の使用も顕著になっていることが判明した。 (2)については、中世バルカン地域に分布する、アポクリファとジャンル化されるテクストの研究を行い、16世紀後半にボスニアで作られた文書が、東方教会圏で流布した写本群と、クロアチアのカトリック圏で伝播した写本群の双方をつなぐ特徴をもつことが明らかになった。この時代はオスマン支配下であり、キリスト教会の活動は限定的であったが、にもかかわらずこのような文書が作られたのはボスニアの特殊な文化的地位を象徴するものと考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本課題研究の当初の目的は、ボスニアにおける言語状況を、その多言語性や言語政策、あるいは言語意識などに焦点をあてて明らかにしようというものであった。ここには主要民族であるボスニア人、クロアチア人、セルビア人の言語意識や言語運用の実態とともに、ボスニア内の少数言語集団の実態調査、これらに対する政策についての調査も含まれる。しかし後者については予定どおりに進行しているとは言い難い。これには、いまなお国内情勢がはっきりせず、正式な統計も出されておらず、政府や自治体の言語政策全般が定まらないという問題が関与している。 いっぽうでボスニア内のクロアチア系住民とボシニャク人社会の言語意識の違いは、標準語イデオロギーという問題からある程度明らかにすることができた。民族による言語意識の違いと、それに由来する言語的分断は時間の経過とともにさらに深まっているようである。 歴史的視点からみた言語空間ボスニアという点については、16世紀に作られたボスニア由来のテクストを研究し、これが、東方教会圏セルビアと西方カトリック圏のクロアチアでつくられたテクストに共通する特徴をもつことを発見した。これは文化史的にもボスニアの多文化性を物語るものであり、この点もさらに調査を進めて行くべき点であると認識した。 このように全体として、狭い意味での当初の研究計画はそのとおりに遂行できてはいないが、ボスニアの多言語状況を解明するという研究全体の枠組みとしてみた場合、おおむね順調に進展しているということができる。
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今後の研究の推進方策 |
H29年度には以下の2つの課題を実施する。 第一は、28年度に着手した標準語イデオロギーの問題の継続的研究である。標準語イデオロギーの問題は、実用的側面と認知的側面から分析することができる。すなわち現実にどのような語彙や形態が標準語の基準として採用されるのかという技術的な面からの分析と、ある言語共同体の話者がどういった言語特徴を標準語に属するものとみなすかという認知的な面の解明である。そこで次年度には、まず近代以後のボスニアにおける標準語形成の過程を、先行研究を参照しながら今一度整理し、そこにどういった言語イデオロギーが作用していたかを明らかにする。またとくにボスニア戦争以後現代にいたるまでの、ボスニア語形成において作用した心理的ファクターがどのようなものであったのかを、ボスニアを構成する主要三民族のケースを中心に解明する。 第二は、中世ボスニアにおける言語状況である。ここでは、まずボスニアの歴史を通じてどういった言語がどのような社会機能をもっていたかを通史的に把握し、その上でとくに16ー17世紀頃を考察範囲とし、スラヴ語(ボスニア・セルビア・クロアチア語)で書かれたテクストのジャンルや種類、使用された言語変種について分析する。とりわけ注目するのは、セルビア国立図書館に所蔵されいている16世紀後半のボスニアで作られたアポクリファ文集(Rs53)と、17世紀初頭に生きたマティヤ・ジヴコヴィッチの著作である。これらの文書の言語と内容を分析し、近代前のボスニアにおける言語がどのような特徴をもっていたかを明らかにする。
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次年度使用額が生じた理由 |
次年度使用金額が生じた理由は、現地調査に赴く機会がなく、その分に予定していた旅費が余ったこと、これにともない調査にかかわる謝金の支払いもなかったこと、さらに購入を予定していた図書が刊行されなかったことによる。
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次年度使用額の使用計画 |
課題遂行のための調査旅費として20万円程度を使用したい。またこれまでの成果を欧文で発表するため、論文の校閲費用としても使用する予定である。
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