戦後、中華民国政府は台湾からの日本人の引揚げについて、日本人を「日僑」、沖縄県出身者を「琉僑」と称し区別しており、送還方法については異なる措置を展開している。明治期の琉球に対する宗主権をめぐる琉球帰属問題交渉の挫折、そして戦後の沖縄県の日本帰属を認めない中華民国政府の対琉球政策といった中国側の対琉球認識が、その送還の措置にも大きく影響している。台湾からの引揚げにおいて、沖縄県出身者(琉僑)と、一般日本人(日僑)と区別した背景には、戦後の琉球帰属問題をめぐる沖縄に対する日本政府の領有主権を認めない外交姿勢が表れているといってもいい。沖縄県出身者の引揚げについては、沖縄に駐留する米国軍政府の受け入れ準備が整わず引揚げが大幅に遅れ、正式な送還は日僑の送還終了後の1946年10月に始まり12月に終了している。 本研究は、そうした沖縄県人の引揚げに関する調査研究である。第二次世界大戦の終戦直後、約3万名近くの沖縄県人が台湾にいたといわれている。当時台北には、引揚げのため台湾各地から集結していた「沖縄僑民総隊」、そして逼迫した生活を送る県出身引揚げ者の救済を目的として結成され、日僑管理委員会から沖縄県出身者の人数把握や引揚げ名簿の作成及び「沖縄籍民証明書」の発給を委託されていた「沖縄同郷会連合会」、さらに日本軍人・軍属が引揚げた後も基隆港にて日僑・琉僑の引揚げ輸送業務に携わっていた沖縄出身軍人で構成されていた「琉球籍官兵集訓大隊(琉球官兵)」といった組織が存在していた。引き揚げについては、この3つの組織が協働で展開していたといっていい。 本研究では、そうした組織の機能および関連性を解明し、さらに引き揚げ経験者へのインタビューを実施し、引揚げの実態を明らかにした。本研究最終年(2018年3月)には、『<沖縄籍民>の台湾引揚げ証言・資料集』として研究の成果を刊行した。
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