本研究では、近世・近代移行期の芸能文化のありようを、①芸能文化をとりまく社会環境の変化、②芸能作品の内容、の二側面から描き出し、現代にまでつながる伝統芸能の展開過程を見通すことを目的としている。 最終年度の本年度は、①と②のそれぞれの成果をまとめる作業を行った。①については、近世芸能の伝統化の契機を考える手がかりを得るため、これを全国的な規模で、かつ分厚い社会階層にまで伝播・普及させた主体として、具体的に二つの存在に着目した。一つは、遊里における男芸者(太鼓持ち、幇間)、もう一つは出稼ぎする役者である。まずは、音曲芸能(義太夫節、常磐津節など)者である男芸者を切り口に、芸能文化の中心であり発信地である三都(江戸・大坂・京都)の19世紀の様相を横断的にとらえた論文「音曲芸能者の三都」(塚田孝編『三都 大坂編』東京大学出版会、2018年刊行予定)を執筆した。彼らは遊里で座敷芸を務めながら、市中の祭礼における芸能や稽古文化も担っており、都市社会の深部まで芸能を普及させることに大きく寄与していた。また明治初期の大阪からは、歌舞伎役者が「出稼ぎ」という形式で、主に西日本の諸方面に盛んに出かけていたことが、大阪の戸長文書や滞在先の史料(熊本、長崎、福岡など)の照合によって明らかになったため、大阪市立大学国際円座で「明治期大阪役者の出稼ぎ」として報告した。明治初期の行政機構の改編により、出稼ぎの際の手続きや納税の仕組みなどは改変されたものの、出稼ぎそのものは、近世から明治初期まで変わらず行われており、移行期の芸能をめぐって変化したもの、しないもの、が具体的に見えてきた。②については、昨年度の作業を継続して具体的な作品の展開過程を検討し、相当程度の材料は揃ったが、年度内に公表することができなかった。それが大きな反省点で、是非近日中に公表の目処を立てたいと思っている。
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