本研究では、美作・備前・備中・備後を対象として、古代の国や郡といった空間についてのシミュレーションを行い、その編成原理を検討した。まず①対象空間全体について標高メッシュデータをもとにした地形図を作成した。その際使用したのは30メートルメッシュの標高データである。国を単位とする領域については、かねてShapefaileで作成した旧国日本図より当該領域を抽出した。古代の郡とその下に構成される里(五十戸・郷)については、それがどのような原理により編成されたかが問題なので、近世の領域などは前提とせず、里(五十戸・郷)を基準にそれがどのような分布指向性をもつのかを考えることで、編成原理を導き出す方法をとった。里(五十戸・郷)はあくまでも人為的な区分であるため、それが編成されたであろう空間に代替座標を与えることで、里(五十戸・郷)を仮想的に領域化・可視化した。 吉備全体の里(五十戸・郷)の比定を実施し、このうち備前と美作について具体的に検討した。備前国では北部六郡が和銅六年(七一三)に美作国として分離されるのをはじめとして、東南部で郡の分割・再編が頻繁に行われており、こうした郡域がどのような原理により編成されたのかを検討した。まず令制当初の赤坂郡は陸路では山陽道を、水路では吉井川を骨格として、後の美作国境までをその領域としていた。また邑久郡は播磨国境までの海岸部分全体を領域としていたが、それは海路によるものであった。天平神護二年(七六六)に藤野郡が拡大し、延暦七年(七八八)に吉井川の東西で和気郡が分割されるが、山陽道についていえば、和気郡に坂長駅家、磐梨郡に珂磨駅家、赤坂郡に高月駅家がおかれることで、最終的な決着をみた。これらの領域編成の本質は道にあった。
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