平成27年度から進めてきた黒龍江(牡丹江)・図們江流域の渤海王城と8・9世紀段階の日本との交流に関する資料収集・整理を踏まえ参考文献(データベース)と活動成果を報告集とホームページに纏めた。その主な内容は、■ホームページ『東アジアの交流と文化遺産』新版を制作し最新の活動内容を追加した。そのコンテンツとして①文化遺産探訪(中国東北の流域遺産・博物館)、②黒龍江流域の渤海遺産(渤海王城と歴史的環境・画像にみる黒龍江・牡丹江流域の文化的景観)、③データベース「渤海・日本交渉関係参考文献」(共編)を採録した。■成果公開活動として、①平成30年7月、軽井沢文化講座「東アジアの交流と地域文化を語る」(中軽井沢図書館)において中間報告書「東アジアの交流と文化遺産―古代日本と渤海国―」の概要を紹介、②同年9月、中国黒龍江省・黒河学院(極東研究院学術論壇)で「北方のシルクロードと日本古代文明」(招待講演)を報告し、黒龍江省博物館(ハルビン市)で渤海上京城址出土文物(黒色土器等)の撮影を実施した。③同年11月、大連工業大学外国語学院の「異文化国際学術検討会」において招待講演「絲綢之路与日本古代的文明交流―以唐朝時代為中心―」を実施。■8世紀中葉~9世紀前葉の日本・大陸間における唐・渤海・新羅の多元的交流を通じて、渤海中期王権(中京城・第1次上京城・東京城・第2次上京城)と日本の平城京・平安京間の交通路は、各王城から「龍原府東南」の沿海部に至る内陸路と海路によって日本沿岸の各津(港)へ通じる「日本道」からなり、時代の経過とともに渤海使の着岸・出港地は北陸から山陰地域へ広がりをみせることを論証した。
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