研究課題/領域番号 |
15K02854
|
研究機関 | 沖縄工業高等専門学校 |
研究代表者 |
下郡 剛 沖縄工業高等専門学校, 総合科学科, 准教授 (50413886)
|
研究分担者 |
林 譲 東京大学, 史料編纂所, 教授 (00164971)
池田 栄史 琉球大学, 国際地域創造学部, 教授 (40150627)
|
研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2020-03-31
|
キーワード | 金石文 / 一字一石経 / 不羈 / 首里蓮華院 / 三牌 / 今上牌 / 当間親雲上重陳 / 沖宮天燈山 |
研究実績の概要 |
首里当蔵の民家敷地(蓮華院跡)から出土した一字一石経については報告書を、日本史史料研究会から刊行した(『首里当蔵蓮華院跡出土一字一石経-球陽三詩僧不羈の事蹟-』(平成31年3月20日、全169頁、ISBN978-4-904315-42-2。但し、納品が遅れたため、出版費用の年度内支払いができず、支払いは4月にずれ込んだ)。墨跡が完全に流れ落ちた経石を除き、1298点の経石を確認。うち887点について、推定を含め文字判読した。これらは、冊封使録にて「球陽三詩僧」(琉球の漢詩が巧みな三人の僧侶)の一人として記録される不羈(脱心祖穎)が写経・埋納したことをを指摘、埋納年次は康熙30(1691)年乃至31年で、その際には国王尚貞の臨席があったことも指摘した。 また、「琉球と日本における今上牌の変化-今上皇帝・今上天皇・今上国王の関係性-』を『立正史学』125号(平成31年3月31日。83頁-102頁。但し現時点では未刊行。著者校正は既に終了。)を刊行予定である。本科研では、金石文を金属・石等に書かれた文字のみならず、木に書かれた文字と広くとらえて(本科研申請書)、三牌の調査も、一字一石経と同時進行で行ったが、その結果、日本臨済寺院における今上牌の変化、すなわち今上皇帝から今上天皇への変化は、近代天皇制の下でなされるが、琉球臨済寺院における今上皇帝から今上国王への変化は、王国時代既に現れているため、かかる変化は、琉球臨済宗が日本臨済宗の変化を受容した結果ではなく、琉球臨済宗文化独自の変化であることを論じた。 そのほか、沖宮天燈山石碑の建立者当間親雲上重陳の史料が、薩摩・琉球双方に多数残っているため、それらを一つにまとめた『当間親雲上重陳関係史料』の刊行を準備したが、最終段階に入って、未活字史料を発見したことから、一旦出版をストップし、引き続き、調査・研究を継続することにした。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
一字一石経調査を開始した段階では、必ずしも作成者と作成年次までもを比定できるとは考えていなかった。しかもその人物が「球陽三詩僧」と称される不羈であり、かつ埋納は国王臨席にて行われたものであること、この経塚が、琉球臨済宗経塚文化の嚆矢となることなど、予想を遙かに超えた成果を得ることができた。 また、当間親雲上重陳関係史料集の方では、当初は、薩摩・琉球に散在する史料を活字本を中心に一つにまとめること。本研究中に発見した、新出の当間親雲上重陳関係の金石文を学界に公表すること。の2点を目的としていたが、当間親雲上重陳本人が書いた未活字史料が見つかるとは予想していなかった。同史料からは、重陳の死生観・宗教観なども読み取ることができ、1600年代の琉球の状況を重陳の目から見た記述もある。1600年代に書かれた琉球文書は極めて貴重であり(例えば『琉球国由来記』などは1700年代に作成された編纂物)、琉球史全体から見ても貴重な発見と考えている。 よって、区分は、当初の計画以上に進展している、とした。しかしながら、当初の計画、4年間では、全研究成果を報告できるに至らず、研究期間を1年間延長した。
|
今後の研究の推進方策 |
次年度は『当間親雲上重陳関係史料』を刊行する。新出の重陳本人が記した史料の分量が多いため、それだけは別冊刊行することも考えたし、今でも迷いはあるが、やはり現時点で把握できる史料全てを一つにまとめて公表することで、今後、他の研究者の利便性向上にもつながると考え、現時点では、全てを一冊にまとめて、次年度中に公刊するつもりでいる。
|
次年度使用額が生じた理由 |
当間親雲上重陳関係史料については、重陳本人が書き残した史料が年末に見つかったため、研究計画を1年間延長し、その分の出版費などを支出できず、かつ追加調査の必要が生じた。 一字一石経報告書は年度内に刊行作業を終えたが、納品が遅れたため、その分の出版費を支出できなかった。 今上牌論文については年度内刊行予定だったが、出版が遅れたため、抜刷印刷費などを使用できなかった。
|