研究課題/領域番号 |
15K02854
|
研究機関 | 沖縄工業高等専門学校 |
研究代表者 |
下郡 剛 沖縄工業高等専門学校, 総合科学科, 准教授 (50413886)
|
研究分担者 |
林 譲 東京大学, 史料編纂所, 教授 (00164971)
池田 栄史 琉球大学, 国際地域創造学部, 教授 (40150627)
|
研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2020-03-31
|
キーワード | 一字一石経 / 三牌 / 石碑 / 不羈 / 脱心祖穎 / 当間親雲上重陳 / 臨済宗 / 真言宗 |
研究実績の概要 |
最終年度は、以下の研究成果を発表した。 1,首里当蔵蓮華院跡から出土した一字一石経研究の成果をまとめ、『首里当蔵蓮華院跡出土一字一石経ー球陽三詩僧不羈の事績ー』を日本史史料研究会より刊行した。当該地から出土した一字一石経1314点の全データをまとめ、それらが康熙30(1691)年または同31年に、蓮華院僧不羈が一人で作成し、埋納したものと結論した。不羈とは、冊封使禄に球陽三詩僧として登場する人物で、別名脱心祖穎といい、尚真王の信頼篤く、この一字一石経埋納時には、国王の臨幸もあったことも指摘した。 2,本研究では金石文を、木に刻まれた文字も含めて研究したが、そのうち、三牌については下郡剛「琉球と日本における今上牌の変化―今上皇帝・今上天皇・今上国王の関係性―」を『立正史学』にて公刊した。現存する年号銘を持つ日本最古の三牌は、これまで位牌とされて徳島県の指定文化財となっていた、生杉久江氏所蔵の今上牌であること、その今上牌は、当初「今上皇帝」の聖寿を祝うものであったが、後に「今上天皇」の聖寿を祝うものへと一部が変化してゆくこと、この変化は近代天皇制の下、明治期に始まってゆくと考えられることを指摘した。 その他、沖宮天燈山の仏教石碑建立者の当間親雲上重陳について研究を進め、『当間親雲上重陳関係史料』の公刊準備を進めていたが、最終年度途中で、重陳本人が記録した『伊地知大膳覚書』の存在を知り得たため、最終年度を1年延長して、当該研究を進めていき、『沖宮天燈山石碑と『伊地知大膳覚書』ー当間親雲上重陳関係史料ー』と題して、日本史史料研究会より公刊した。石碑を建立した重陳なる人物は、琉球での当間銭の創始者であるが、それ以外に、砂糖とウコンの王府による専売制を整え、それらを薩摩に運搬するための海運制度の創建にも尽力し、薩摩侵攻直後の琉球と薩摩の架け橋として機能した人物であることを指摘した。
|