大宰府出土木簡について、加工や筆跡、内容および、出土状況の再検討により、その最終的な廃棄の状況と廃棄した主体を確定した。この方法によって、大宰府史跡出土の付札木簡の多くは、付札に書かれた九州島内の地名の現地において製作され、税の物品に付けられて大宰府まで運ばれて来た荷札木簡である可能性が高いことが明らかになった。ついで、大宰府の西海道統治の実態についてあらためて考察し、西海道の特殊な地域支配の成立を、大宝元年~2年(701~2)に施行された大宝律令によって、大宰府が制度的に完成する前の7世紀以前に遡って明らかにした。これによって九州の地域社会の特質の一端をも解明できた。
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