本研究は、近世末の民衆的宗教における女性の位置と役割を明らかにすることを目的とする。女性の罪障観・不浄観が成立した平安時代以降、女性は徐々に宗教の領域で周辺に追いやられ、近世にはその傾向が地方民衆にまで拡散した。その一方で近世後半には、女性の罪障・不浄観に対する批判や女性の宗教行動の制限に対する抵抗が、民間の非公認の信仰集団の中から現れた。本研究では富士信仰に基づく「不二道」と文政期に京都・大坂で「切支丹」として摘発された信者集団を具体例として、女性の役割や行動を調査した。 19世紀初頭に江戸近郊で組織された不二道は、世直りを待望する独特な教義を展開し、人間男女の間に優劣はないと主張して、家庭や社会での女性の活躍を奨励した。本研究では、信州における布教と組織運営の中心となった飯田の松下千代を取り上げた。千代が残した文書は2015年に子孫の松下祐輔氏から飯田市歴史研究所に寄託されたので、同研究所の文書整理に協力しつつ調査・撮影・翻刻を行った。また関東の不二道創始者や信者が残した文書を川口市文化財センター分館郷土資料館で調査し、一部の翻刻を行った。 京坂「切支丹」事件については、大坂東町奉行所が作成した一件文書の写本である「邪宗門一件書留」(慶応義塾大学図書館蔵、東京大学史料編纂所謄写本)と「邪宗門吟味書」(東京大学明治新聞雑誌文庫蔵)を比較・翻刻し、さらに「大坂切支丹一件」(聖心女子大学図書館蔵)と比較した。 以上の古文書の調査に基づき、不二道の運動と女性の役割について、2冊の図書の各1章を執筆した。1冊は2017年に出版された。また京坂「切支丹」事件の中心人物の女性たちの行動や役割について2017年ヨーロッパ日本学会(EAJS)で発表し、現在論文を執筆中である。この事件の歴史的・宗教学的意義を海外に発信するため、関係史料の翻刻と英訳を外国人研究者と共同で進めている。
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