江戸時代の日本海沿岸には、肥前国(長崎県)を中心とした西海地域と長門国(山口県)の北浦地域に好適な捕鯨漁場(以下、漁場=漁村)が存在した。そこで捕鯨業を成立・展開した専門集団を「鯨組」と呼称した。西海地域の九州鯨組が北浦地域の漁村へ出漁した背景や条件、雇用・漁場利用問題、さらに捕獲鯨の種類について考察を深めた。 その結果、九州鯨組は享保~天保期にて北浦地域の漁村へ出漁し、漁場の範囲を拡大させた。しかも安政期の萩藩直営の鯨組では、西海地域の巨大鯨組から数百人規模を個別に雇用したことが判明した。西海地域では主にセミ鯨が捕獲されたのに対し、北浦地域では主にザトウ鯨が捕獲されたことが判明した。
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