文献と歴史の悠久さを誇る中国の知識人・為政者にとって、歴史、とりわけ「国史」と「民族史」との関係を合理的に説明付けることは、古来、重要課題であり続けてきた。20世紀中国については、特に「ナショナリズム」論との関係で、「国史」の構築をめぐり、近年までに多くの研究成果が発表されているが、「民族史」という観点からこの問題に切り込んだ研究は、これまで十分な成果が見られない。 そうした中、本研究では、中国共産党政権が百年をかけて構築し、今日強い影響力を持つに至った「中国多民族史観」の形成・流布の過程を、少数民族エリートの役割、ソ連との関係性、史料批判の必要性という三つの視点を中心に、歴史学の手法によって解明することを試みた。 最終年度の調査と研究は、第一、第三の視点を中心に行った。 まず2017年4月から5月にかけて、少数民族の集住地域である貴州省を訪問し、当該地域を代表する二つの民族、ミャオ族・イ族の民族エリートたちの足跡に関する史料を蒐集し、関連史跡を実地調査、関係者への聞き取り調査を行った。また、同時期に貴州大学で開催された民族史に関するシンポジウムにも招聘参加し、これまでの研究成果の一端を発表するとともに、目下「中国多民族史観」の構築に参与している立場の知識人・研究者・民族エリートたちから情報収集を試みた。帰路、南京で関連史料の文書調査を試みた。さらに2017年8月には、前回の調査によって本研究に関する有望な調査地と判明した貴州西北部の畢節地域を中心に、イ族エリートによる「中国多民族史観」の構築の足跡を実地調査した。また2018年3月には、少数民族のもう一つの集住地域である四川省を訪問し、今日の民族エリートの養成の場である西南民族大学を訪れた後、四川省南部の涼山地域で、貴州畢節出身のイ族エリート、楊砥中に関する史跡の実地調査を行った。 研究成果は論文・口頭発表の形で世に出された。
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