研究課題/領域番号 |
15K02887
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研究機関 | 東京外国語大学 |
研究代表者 |
二木 博史 東京外国語大学, 大学院総合国際学研究院, 教授 (90219072)
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研究分担者 |
上村 明 東京外国語大学, 外国語学部, 研究員 (90376830)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | モンゴル史 / 境界 / 越境 / 移動 / バルガ / アルタイ・オリアンハイ / フルンボイル / アルタイ地区 |
研究実績の概要 |
バルガ人の調査(研究代表者) 2015年8月に中国・内モンゴル自治区・フルンボイル市のハイラル市、シネ・バルガ左旗、シネ・バルガ右旗、ホーチン・バルガ旗、エウェンキ民族自治旗でインタビュー調査を実施し、同時にハイラルの国際会議で研究発表をおこなった。今回はとくに1945年のバルガ人のモンゴル人民共和国への集団移住の要因、1939年のハルハ河戦争(ノモンハン事件)とバルガ人の境界意識の関係について調査した。1945年の移住の主体になった旧フブート・チャガーン旗については、旗(ホショー)内を鉄道がとおること、ソ連領と接すること、冤罪事件で被害をうけたこと等が影響しているという証言がえられた。モンゴルとフルンボイルの境界の問題については、公的な境界と現地のバルガ人の境界解釈が完全に異なる点が、現地調査をとおしてあきらかになった。ハルハ河を国境とするバルガ人の解釈は、日本(関東軍)側の解釈と一致しており、あまりまじめにとりあげられることがなかったが、ハルハ河の右岸に国境線がひかれているというモンゴル側の解釈とはあきらかにことなるバルガ人の伝承・言説が日本側のおもわくとは別個に確実に存在していたことが確認できた。 アルタイ・オリアンハイ人の調査(研究分担者) アルタイ・オリアンハイ人の土地が描かれた複数の地図の分析によって、19世紀からの国境の変遷、カザフ人の流入の過程を研究した。具体的には、1890年から1928年の間に作成され、清、モンゴル国、中華民国の各政府に提出された4枚の地図、および1910・20年代のアルタイ・オリアンハイ7旗の分布とカザフ人の遊牧地の状況を示した2枚の地図を、関連する史料の記述とあわせて分析し、同治年間からの中ロ国境条約、新疆におけるムスリムの反乱等が、アルタイ・オリアンハイ人の土地にカザフ人が住みつく過程にどう作用したか明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
中国・内モンゴル自治区とモンゴル東部のドルノド県におもに居住するバルガ人、モンゴル西部のホブド県と中国・新疆ウイグル自治区に居住するアルタイ・オリアンハイ人というふたつのモンゴル系サブグループの境界意識と越境を事例にモンゴル系諸集団の境界と移動についてのあらたな枠ぐみを提示するという、本研究課題の初年度の研究は、フルンボイルで現地調査を実施してバルガ人に関するオーラルヒストリー資料と文献資料を収集できたこと、地図の研究の成果を援用し、カザフ人の移動との関係も視野にいれたアルタイ・オリアンハイ人の歴史とかれらの移動に関する分析ができたこと、国際会議をふくむいくつかの会議で研究成果を発表し研究者との意見交換ができたこと、雑誌論文等の発表もおこなえたこと、などから判断してほぼ順調に進展していると評価しうる。
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今後の研究の推進方策 |
ひきつづき、モンゴル東部ドルノド県と中国・内モンゴル自治区の境界と集団移動、モンゴル西部ホブド県と中国・新疆ウイグル自治区の境界と集団移動を事例にモンゴル系諸集団の境界と越境の問題について分析をすすめていく。今後は現地調査と文献調査、オーラルヒストリーと文書史料の併用、現地の研究者との対話をとおして知見をふやし、あらたなわくぐみの構築をめざす。現地調査については、モンゴルではドルノド県フルンボイル郡以外のバルガ人コミュニティーでの調査も視野にいれ、中国では新疆ウイグル自治区のアルタイ地区での調査をすすめていく。先行研究のさらなるサーヴェイと並行して、文書館での調査を通じて一次資料の確保をめざす。 モンゴルの中央文書館が新館へのひっこしのために使用できない場合は、他の文書館、図書館での調査で代替する。
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次年度使用額が生じた理由 |
物品費のうち、書籍代が予想の金額を下まわったため。
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次年度使用額の使用計画 |
地図資料を購入する代金の一部として使用する。
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