本研究は(1)13~14世紀の事元期(モンゴル服属期)高麗王権の特質を朝鮮国家史の長期的展開のなかに体系的に位置づけ、(2)朝鮮中世国家の特質を「北アジア的」ないし「中央ユーラシア的」要素に注目して浮き彫りにし、究極的にはこれによって(3)朝鮮史の立場から「モンゴル時代」の世界史的意義に対する評価を行うことにある。 以上の研究を、4つの重点課題、①王位継承問題、②君臣関係、③官人集団の統御、④国王近侍集団の分析を通じて行うが、本年度は「④国王近侍集団」を中心に分析を進めた。事元期の高麗王は、モンゴル帝室の女婿としての権利にもとづき、モンゴル式の君主近侍機構ケシクを導入し、不安定な王権を支える側近集団を形成した。これらは14世紀後半には高麗前期以来の近侍組織、内侍・茶房等と一括して「成衆愛馬」などと汎称され、高麗最末期~朝鮮初期の政治改革の課題となっていく。そもそも高麗の内侍・茶房は、源流である中国王朝において宦官職だったのとは異なり、文官を中心として門閥子弟や個別の有能者を選抜したエリート側近集団であり、モンゴル貴族の子弟を中核として組織されたケシクと類似性をもっていた。つまり高麗在来の制度がモンゴルの制度に類似性を有し、相互にシンクロ現象を起こしたのである。こうしたケシク的近侍組織は中央ユーラシアの歴代諸王朝に広く共通して確認され、近年そのことを要件の1つとして「中央ユーラシア型」国家のモデルも提起されている。中国唐宋風の官僚制国家と説明されてきた高麗にもまた、こうした「中央ユーラシア的要素」が存在したと評価できる。 以上の成果は、九州史学会において「事元期高麗のケシクと在来近侍機構」と題して公表した。また事元期の高麗王権を素材とする朝鮮対外関係史の特質のモデル化作業を、昨年度から引き続き朝鮮対外関係史研究会において進めた。
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