研究課題/領域番号 |
15K02905
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研究機関 | 北九州市立大学 |
研究代表者 |
堀地 明 北九州市立大学, 外国語学部, 教授 (70336949)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 北京 / 自然災害 / 1801年水害 / 水害救済 / 漕糧 |
研究実績の概要 |
研究第1年目の2015年度は、①先行研究で取り上げられている19世紀前半の大規模自然災害に関する史料の調査収集、②大規模自然災害発生地での現地調査、③大規模自然災害の個別事例を救済物資調達の方法と都市社会から考察する等を重点とした。①については、日本国内では東京大学東洋文化研究所・東洋文庫等において、国外では中国第一歴史档案館にて、史料調査を行うとともに、先行研究の理解と消化を重視し、19世紀前半の北京における自然災害の概要と主要史料を掌握した。これらの調査研究の過程で、③の大規模自然災害事例として、1801年に北京及び直隷で大規模な水害が発生し、水害と清朝政府の水害対策が『欽定辛酉工賑紀事』に編纂されていることとが判明した。 『欽定辛酉工賑紀事』は1801年の水害と水害対策に関する行政史料を網羅的に掲載しており、同書の分析を通じて個別事例研究を進めた。1801年の北京とその周辺における水害の規模はそれまでで例を見ない規模であること、皇帝が延臣に命じ、被災調査・水害対策を周到に実行したこと、救済物資の出所等の諸点が明らかになった。救済用の穀物は他地域から購入し、北京に搬入することは行われておらず、北京の糧倉に備蓄されていた漕糧を用い、主として漕糧を無償給付する方法で被害者の救済がはかられた。救済事業の主体は政府であるが、民間の商人と慈善活動家からの救済物資寄付、及び救済を受ける人々の出身地や男女比率を解明できた。総じて、水害からの復興は国家の救済策を通じて実現され、被災民は生業に再従事していった。③については、史料分析の過程で知った北京城内の救済施設の所在地を現代の地図に比定し、現地実地調査を行い、救済施設が複数の寺廟に設けられていたこと、救済施設間の距離について理解を深めた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
調査研究の過程でまとまった史料を発見できたことが、研究が順調に進展している要因である。同時に研究課題が多く存在することも認識したが、効率的な研究を進展させるためには課題の限定が重要と考えている。
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今後の研究の推進方策 |
研究第2年目は初年の研究で得られた成果を基礎とし、北京において漕糧がどのように消費されていたのかを中心に研究を進める。北京は清王朝の首都であり、皇帝・官僚・兵士が消費する俸禄米である漕糧が南方諸省より大運河で搬運された。漕糧は北京と通州の糧倉に蓄えられ、俸禄米として給付されたが、初年の研究で明かになったように、漕糧は災害時の救済穀物として被災者に無償で配付されており、単に俸禄米として消費されていたのではなかった。また、初年度の研究の中で、北京では俸禄米が民間に販売され、城内外の米価を引き下げることを指摘する史料も多い。本年度の研究は清代中期の北京における食糧問題を漕糧の民間への販売とそれをめぐる諸問題から接近し、首都北京における食糧の流通と消費の実相を明らかにする。史料調査と現地調査は引き続き行い、関連史料の収集は重視する。
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次年度使用額が生じた理由 |
人件費と謝金を計上していたが、今年度の研究では執行がなかった。また、7-10日間の海外調査を再度計画したが、実現できず、それが次年度使用額との差額が生じた理由である。
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次年度使用額の使用計画 |
本年度の研究においては、海外調査の機関をやや長く取り、計画的な執行を計画する。また、必要性が低い執行項目については他項目に振り替えるなどを検討する。
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