最終年度である本年度は、これまでの研究を振り返り、一次資料の補足的な調査行い、収集した一次資料の整理と分析を進めた。これまでの研究の成果は下記の二点である。第一は1806年の北京大水害と政府の飢饉政策による復興、第二は清代北京の米穀流通に関する政府の制限政策と南方から運ばれてくる米穀の市販流通と消費についてである。以下で研究課題と研究の進捗について記す。
第一の大水害からの復興に関する課題では、なにゆえに、どのような発想で水害対策を実行したのかということは未着手であり、皇帝が水害対策と同時進行で編纂させた水害と水害対策の記録である『欽定辛酉工賑紀事』の編纂の目的を検討した。検討の結果、皇帝が水害対策を実施した動機が天譴論に基づくことを明らかにした。天譴論とは、皇帝が自然災害の発生を天の自らの施政に対する叱責と懲罰であると認識し、天の譴責を静めるために実施されるのが水害対策であり、皇帝は被災者を救済することによって自らの失政を悔い改め、天命を維持することが可能と認識し、これが水害対策推進の思想的背景となった。
第二に関しては、北京は麦他の雑穀が生産される畑作地帯に属するが、これまでの研究では小麦の流通と消費については不明であった。一次資料には、水害対策の一策として各地から小麦が北京に輸送され、被災民に供給されており、北京における小麦流通の実態を考察した。北京に流入してくる小麦の生産地は、山東・河南・奉天・陝西の各地からであり、特に山東と河南からは定額の流通量が設定されており、米穀と同様に北京南東部の通州が流通の要衝になっていた。米穀と対比すると、小麦には政府の流通規制が存在せず、取引数量が大規模であること等の知見が得られた。
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