本研究では秦漢時代の地理情報の文書化の過程を以下の3点について研究をすすめた。(1)長江流域の都市の変遷はどう記されるのか?-点の地理認識(2)秦漢時代、長江流域の距離はどのように測定したのか?-線の地理認識(3)秦漢時代、長江の洪水を防ぐ堤防はどのように建設されたのか?-防災と地理認識という観点からの研究である。 最終年度にあたる2018年度には、上記の(1)~(3)の考察を踏まえつつ、さらにより広い視点から概観するために、古代中国における「地理認識」と水利・灌漑・防災(水害)の問題について国内外の討論会などで報告し、議論を深めた。シンポジウム『関中平原開発史~考古学と歴史学からみる「人と水資源」』(中部大学)では、「秦都の変遷と関中平原の開発~西垂から咸陽へ」」と題して、関中平原の地域開発について、周から漢に至るまでの周原地域に着目して、その支配と水利用、地理認識について討論した。また、シンポジウム「古代東アジアの文物交流とシルクロード」(韓国・慶北大学校博物館)では、「古代東アジアの治水・灌漑とシルクロード」と題して、「塢」と呼ばれる堤防型の水利施設がシルクロードを通じて西北の羌族から華北の黄河中下流域、長江下流域そして朝鮮半島へと広がった過程を考察した。 これらの香港中文大学「河堤簡」からはじめた考察を通して、華北・東アジアの水利の問題について今後も成果を論文としてまとめる予定である。
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