本研究は、西アジアの広大な地域を支配したサーサーン朝ペルシア(3ー7世紀)に焦点をあて、王朝の「境界域」におけるコインの利用のされ方について考察する。「境界域」とは地域だけでなく時代の境界をも意味する。すなわち、サーサーン朝ペルシアと他の政権が支配領域を接する「境界域」、そしてサーサーン朝ペルシアと他の政権との交代時期(誕生期、滅亡期)という「境界域」である。 初年度はまず、西側の境界域として、北シリアのユーフラテス川流域のテル・ミショルフェ遺跡の出土資料の再検討を実施した。これは代表者が所属する古代オリエント博物館が1970年代に発掘調査を実施した遺跡であり、出土状況からローマ帝国とサーサーン朝ペルシアが接点をもった場所と推測している。貨幣、度量衡関連の資料としては、今回、あらたにローマ帝国公式の「カップウェイト」が含まれていることが判明した。ヨーロッパの辺境地域からの出土例がある資料で、西アジアにおけるローマの辺境からの貴重な出土例となり、日本西アジア考古学会にて公表した。 東側の境界域としては、既に交付された科研費により進めているサーサーン式銀貨に刻印された後刻印の調査を継続した。調査で得た新知見については10月に日本オリエント学会にて発表し、コインデータの収集については継続して行った。3月にイギリスケンブリッジフィッツウィリアムミュージアムにての調査を実施した。 また、一般公開の場として「サーサーン朝ペルシアとその境界域のコイン」という一般向けの講演会を実施した。
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