本研究は、19世紀の随所に見られた反奴隷・反黒人の思想・活動・立法を検討対象にして、そこに潜む人種差別主義思想を白人性概念と反知性主義というアメリカ合衆国独特の知的状況を接合した分析視角から再検討することにより、従来、白人優越主義という非歴史的概念で説明されてきた同国の人種差別的現象の発現要因を解明しようとするものである。 こうした構想のもとに本年度は、ひとつに昨年度も扱ったロードアイランド州の「ドアの反乱」(1841-43)を対象に考察を行った。アンテベラム期最大の選挙権獲得闘争であるこの政治的騒擾は、一面においては反知性主義の基底を成す福音主義的共和主義が発現した事例であるからである。とりわけ、本年度はドアの唱えた人民主権論を同時代人の人民主権論と比較検討することにより、当該期の反知性主義的人民主権論に内在する人種差別的要素を析出した。 いまひとつは南北戦争後の各州で立法化が進んだ異人種間結婚禁止法に焦点を当てた。同法の起源は植民地時代の1660年代にさかのぼるが、同法を制定する州が劇的に増加したのは奴隷制廃止後のことであった。合衆国憲法修正第14条によって人種による市民権差別が禁止されたにもかかわらず、同法の制定が可能であった要因を解明すべく、まず「人種混淆」(miscegenation)という概念が作り出された南北戦争期の世論を分析したのち、諸州の異人種間結婚禁止法の制定過程、同法関連訴訟の記録、および関連する新聞記事を検討することにより、反異人種間結婚論にみられる反知性主義的要因を明らかにした。
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