今年度は、コソヴォ地区に位置しているペーチ総主教座聖堂とデチャニ聖堂を中心に調査を実施した。ペーチ総主教座聖堂では、14世紀前半に当時の大主教の肝煎りで聖デメトリオス教会とホデゲトリアの聖母教会が相次いで建立されている。当時、ビザンツとセルビア王国の間では、ビザンツ皇女の降嫁が実現するなど君主家門間の活発な交流が確認されるため、こうした一連の建設活動は、積極的にビザンツの洗練された文化を受け入れようとするセルビア側の姿勢を読み取ることができるように思われる。これに加え、セルビア王の後援で建立されたデチャニ聖堂(14世紀半ば)内の壁画も注目に値する。同聖堂に併設された聖デメトリオス礼拝堂には、聖デメトリオスの伝記に沿って主要なエピソードが描かれているだけでなく、蛮族からのテサロニケの防衛、そしてブルガリア王カロヤンを成敗する聖者の騎馬像の図像も残されていた。これらビザンツ起源の主題を積極的に取り入れているところを見ると、セルビアは、ビザンツに接近し、後者との連携と協調関係を顕示して、ビザンツの文化的伝統の正統な継承者という地位を標榜し、それによって隣国ブルガリアに対して優越した地位を占めようとしたと想定することも可能であろう。こうした仮説はさらに吟味する余地が大きいが、こうした視点は、オスマン・トルコの征服前夜におけるビザンツ、ブルガリア、セルビア三国をめぐるバルカン地域の国際情勢を論じる際にも貴重な手掛かりを提供する可能性を秘めているように思われる。なお、今回の調査では、コソヴォ地区、プリズレンのリエヴィチ教会も、あわせて調査を行ったが、同地の聖デメトリオス伝を描いたフレスコ壁画については保存状態が完全ではなかったこともあり、十分な成果は収めることはできなかった。
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